第13師団_(日本軍)
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第13師団 (日本軍)
創設1905年(明治38年)4月1日
国籍大日本帝国
所属大日本帝国陸軍
規模師団
兵種歩兵
人員約25,000名
所在地高田-樺太-朝鮮-シベリア仙台-華中-華南
編成地高田/仙台
通称号なし/鏡
補充担任第十三師管(高田)/仙台師管区
最終上級部隊支那派遣軍
最終位置シベリア/湖南省 長沙
主な戦歴日露-シベリア日中戦争

第13師団(だいじゅうさんしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。
目次

1 第一次編成

1.1 師団概要

1.2 歴代師団長

1.3 最終所属部隊


2 第二次編成

2.1 師団概要

2.2 歴代師団長

2.3 最終司令部構成

2.4 最終所属部隊


3 関連項目

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第一次編成

日露戦争末期の1905年(明治38年)4月、従来の師団総てを動員した為、本土駐留師団がなくなる事態となった。そこで第13師団を含む4個師団が創設された。

軍部は日露戦争の講和を有利に運ぶ為に樺太占領を企て、第13師団が投入された。独立第13師団として編成された師団は7月7日に樺太に上陸すると北上を続け、8月1日には駐樺太ロシア軍が降伏した為、占領を完了した。これにより、講和条約であるポーツマス条約によって樺太の南部即ち南樺太は日本領に編入された。

師団はその後朝鮮駐剳を経て1920年(大正9年)シベリア出兵に動員された。しかし、大正年間には続く戦役によって政府は財政難となっており、1925年(大正14年)には所謂「宇垣軍縮」によって4個師団の廃止が決まり、第13師団は廃止された。


師団概要

通称号:なし

編成時期:1905年(明治38年)4月1日

廃止:1925年(大正14年)5月1日

編成地:高田

補充担任:第十三師管(高田)

最終位置:シベリア


歴代師団長

原口兼済 中将:1905年(明治38年)4月1日 -

岡崎生三 中将:1906年(明治39年)7月6日 -

長岡外史 中将:1910年(明治43年)6月1日 -

秋山好古 中将:1913年(大正2年)1月15日 -

安藤厳水 中将:1915年(大正4年)3月15日 -

西川虎次郎 中将:1918年(大正7年)7月24日 -

河村正彦 中将:1921年(大正10年)1月6日 -

井戸川辰三 中将:1923年(大正12年)8月6日 - 1925年(大正14年)5月1日


最終所属部隊

歩兵第15旅団

歩兵第16連隊(新発田)

歩兵第30連隊(高田)


歩兵第26旅団

歩兵第50連隊(松本)

歩兵第58連隊(高田)


騎兵第17連隊

野砲兵第19連隊

輜重兵第13大隊


第二次編成

日中戦争が勃発すると日本本土から次々と師団が中国大陸に派遣され、同時に従来の常設師団から新たに特設師団が編成された。第13師団も、1937年(昭和12年)9月10日留守第2師団の担当で復活し、上海派遣軍司令官松井石根大将の要請により、第9師団および第101師団とともに第二次上海事変の増援軍として上海戦線に赴いた。

上海戦の後は南京攻略戦に投入、1938年(昭和13年)2月14日には新設された中支那派遣軍戦闘序列に編入され徐州会戦を戦い、7月4日には第2軍に編入武漢作戦に参戦した。その後11月9日第11軍に編入され、中国戦線でのさまざまな作戦に参戦したが、しばしば張自忠李宗仁の前に敗退している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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