第一共和国_(大韓民国)
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第一共和国
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各種表記
ハングル:?1???
漢字:第1共和國
平仮名
(日本語読み仮名)だいいちきょうわこく
片仮名
(現地語読み仮名)チェイルコンファグク
ラテン文字転写:{{{latin}}}
英語:First Republic of South Korea

第一共和国(だいいちきょうわこく)とは、1948年8月13日の建国から1960年四月革命による李承晩大統領辞任までの間、大韓民国に存続した政体

この間、李承晩が大統領職に留まり続け、彼による独裁政治体制が構築されていった。
目次

1 成立

2 戦前(朝鮮戦争勃発前)の出来事

3 朝鮮戦争期

4 戦後の出来事

5 教育

6 経済

7 国際関係

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成立

第一共和国は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁(USAMGIK)の統治を引き継いで成立した、大韓民国最初の共和憲政体制であった。1948年5月10日に実施された制憲国会の議員を選出する総選挙は、USAMGIKが統治していた北緯38度線以南の南朝鮮単独で実施された。左翼はこの総選挙をボイコットした為、制憲国会の構成員は極めて反共色が強かった。

制憲国会が7月17日に制定・公布した第一共和国憲法は、国家制度として大統領に強力な権限を与えた大統領制を採用したが、大統領の選出は国会による間接選挙とされた。また、大韓民国が朝鮮全域を領有する正統な国家であるとも規定した。7月17日には大統領の選出も行なわれ、アメリカ合衆国が推す親米派の李承晩が初代大統領に就任した。李もまた、徹底した反共主義者だった。

その後、マッカーサーGHQ総司令官臨席のもとで、8月13日に李承晩が大韓民国の樹立を宣言し、大韓民国は公式的に独立国となった。ただし、大韓民国最大の後援者であるアメリカ合衆国政府は、1949年1月まで大韓民国の公式的な国家承認を引き伸ばしていた。


戦前(朝鮮戦争勃発前)の出来事

李承晩は韓国民主党の支持を受けて大統領に選出されたが、彼が組閣した内閣には民主党党員は選出されなかった。その報復として、民主党は国民党内の反李承晩派と連合して野党民主国民党を形成し、大統領の権限を大幅に規制した内閣制度への改変を支持し始めた。これと同時に、李承晩派も国民党へ再編され、国民党が李の支持基盤となる与党として確定した。ただし、1950年5月30日に実施された第二回国会議員選挙では、無所属議員が議会の過半数を占める結果となった。

反共政策を掲げる国家主義的な李承晩政府は、左翼活動の残忍な鎮圧など、USAMGIK以来の習慣を数多く継続していた。政府は、済州島四・三事件麗水・順天事件など、左翼勢力の活動を厳しい武力行使で鎮圧し、左翼の封じ込めにおおむね成功した。ただし、それにともない多数の住民が虐殺された他、独自路線をとる一部を除いて、左翼の多くは北朝鮮を支持していた為に、北朝鮮との対立を厳しくした。


朝鮮戦争期

戦争に関する詳細は、朝鮮戦争を参照のこと

1950年6月25日、北朝鮮・朝鮮人民軍が朝鮮の赤化統一を目指して韓国に侵入し、戦争が勃発した。国土の大半を喪失し、韓国軍が壊滅状態に陥った韓国は存続の危機に瀕したが、アメリカの主導下で、16カ国が国連軍として最初の集団軍事行動を行い、反攻に転じた。国連軍の参戦で、韓国軍は一時鴨緑江に達したが、中国人民志願軍中国人民解放軍)の参戦で再び退却し、1951年以降は北緯38度線付近で戦線が膠着した。

戦線の膠着を受けて1951年7月から開始された休戦交渉は、1953年7月27日板門店における休戦協定の調印で幕を迎えた。協定により、軍事境界線と非武装中立地帯(DMZ)が朝鮮半島に設けられ、朝鮮の分断体制が固定された。ただし、北朝鮮・中国と国連軍は協定に調印したものの、朝鮮の統一を唱える李承晩はこの停戦協定を不服として調印を拒否した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen