穆公_(鄭)
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穆公(ぼくこう、紀元前649年 - 紀元前606年)は中国春秋時代の君主(在位:紀元前628年 - 紀元前606年)。は姫。は蘭。文公の子。


即位まで

父の文公はの公子重耳が内乱を避けて流浪してきたとき、これを侮蔑して粗略に扱った。重耳は怒り、すぐにを立ち去った。このとき、蘭の母はわが子を重耳に託した。当時、鄭国内では公族による家督争いが起き、母親の身分の低い蘭は見向きもされなかったものの、決して安全と言える状況ではなかったからである。

に返り咲き、文公と呼ばれるようになった重耳は、自らを粗略に扱ったの文公を許さなかったが、鄭の家臣は重耳の声望と晋の国力を恐れて晋の傘下に加わることを決意し、文公を廃して蘭を迎え入れた。これが穆公である。


小国の君主

という国は大陸の中央に位置し、交通の要衝を占め、春秋時代の初期においては最も強い勢力を持った地域であった。しかし、春秋中期からは北のや南のが大勢力を持ち始め、中央に位置する鄭は領土的発展の余地も無く、また晋楚の激突の際には常に戦場となる宿命を背負っていた。

文公襄公霊公穆王荘王など、大国の君主が変わるたびに後背を繰り返したが、それでも宰相の子家などの補佐を受け、大過なく国を保った。

子沢山で知られ、子に霊公、襄公、夏姫などがいる。穆公の子のうち、特に七家は七穆と呼ばれ、次代の鄭の政権の中枢を担った。名宰相と呼ばれた子産も穆公の孫に当たる。 カテゴリ: 鄭の君主 | 紀元前649年生 | 紀元前606年没

更新日時:2008年8月15日(金)11:12
取得日時:2008/08/30 17:19


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki