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秦(しん、ピン音:Q?n、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代に渡って存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦代と呼ぶ。国姓は?(えい)。統一時の首都は咸陽。
目次
1 歴史
1.1 周代
1.2 春秋・戦国時代
1.3 統一王朝
2 政治
2.1 官制
2.2 法制
3 経済
4 文化
5 秦の統治者
5.1 秦公
5.2 王
5.3 皇帝
6 関連先
7 外部リンク
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秦は伝説によれば殷の紂王に仕えた奸臣悪来の末裔とされる。しかしこの始祖伝説はおそらくは秦が中国に入った後に作られたもので秦の本当の出自は後に穆公が西戎の覇となることから考えて、西戎そのものではないかという考えもある。 紀元前900年ごろに周の孝王に仕えていた非子が馬の生産を行い、功績を挙げたので?の姓を賜り、大夫となり、秦の地に領地を貰ったという。しかしこれも実際にあったことなのかは不明である。 伝説上では?姓は帝舜の臣伯益が賜ったとされている。 上記の西戎そのものであれば南蛮の楚が帝??の子孫の姓、?を名乗っており、呉は周王と同じ姫姓、越は夏王と同じ?姓を名乗っている事から考えると?姓では創作した伝説としては重みに欠ける。現時点では、伝説を証明も否定もできない。
秦が最初に興った場所は現在の甘粛省礼県であったらしく、この地より秦の祖の陵墓と目されるものが見つかっている。紀元前770年に周が犬戎に追われて東遷した際に、襄公は周の平王を護衛した功で周の旧地である岐に封じられ、これ以降諸侯の列に加わる。
春秋時代に入ると同時に諸侯になった秦だが、風俗的に中原諸国と大きく異なり、当初は野蛮であると蔑まれていた。代々の秦侯は主に西戎と抗争しながら領土を広げつつ、法律の整備などを行って国を形作っていった。紀元前677年には首都を雍(現在の陝西省鳳翔県)に置いた。
九代穆公は百里奚などの他国出身者を積極的に登用し、巧みな人使いと信義を守る姿勢で西戎を大きく討って西戎の覇者となり、周辺の小国を合併して領土を広げ、隣の大国晋にも匹敵する国力をつけた。