科学(かがく、英: science )という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。
(広義)体系化された知識や経験の総称であり、自然科学、人文科学、社会科学の総称。
(狭義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。
(最狭義)自然科学。
目次
1 知識や経験の総称としての科学
2 科学的方法に基づく学問としての科学
2.1 科学の方法論
3 自然科学と科学技術
4 日本語における「科学」
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
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「科学」という語はラテン語の scientia (知識)に由来する。science という語は、17世紀の科学革命のころまでは、体系化された知識や経験の総称という意味で用いられてきた。なかでも、観察や実験に基づく体系的な学問という意味では、natural philosophy (自然哲学)やexperimental philosophy (実験哲学)の語が用いられていた。今日でも「科学」の語は、自然科学、人文科学、社会科学の総称としてしばしば用いられる。
人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然界の現象や自身の人体の構造について関心を抱き続けてきた。歴史上、古代オリエント、古代インド、古代中国をはじめとするさまざまな文明圏において、これらの関心対象を説明するための知識や経験が蓄積され、学問として体系化されていった[1][2][3]。古代に形成された学問の諸体系のなかでも後世に大きな影響力を残したのが古代ギリシア・古代ローマの自然哲学である。中世においてはイスラム科学が最も先進的な地位を占めていた。後進ぎみだったヨーロッパは、イスラム諸国から科学や技術を輸入し、長い年月をかけて追いついた歴史がある[4]。
しかしこれら古代から中世にかけての諸学問は、客観性や論理的な推論の過程を重視する学問的態度を伴ったものではなかった。すなわち、今日の自然科学が不可欠の要件としている態度である論理実証主義を欠いていたのである。例えば中世の大学での講義では、現実の観察結果が古典に書かれた内容と異なるものであれば、古典のテクストが正しいとされていた。
20世紀の歴史学者ハーバート・バターフィールドは、17世紀のヨーロッパにおいて、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち実験(冒険)という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為が形成されたとする。バターフィールドはこれを「科学革命」と名付け、人類史上における一大画期であるとして高い評価を与えた[5]。
科学的方法も参照
よく、「科学は物事の起こる理由を説明するもの」と説明されるが、これは間違いではないものの、科学の実態を正確に説明しているとは言い難い。世の中に見られる現象は、一見不思議なことは数多い。これがなぜかを知りたくなるのであるが、直接にそれを誰かに尋ねることで答えを得るのは難しい。聞かれた方がわからないから、適当に答えたのが神話の発祥かもしれない。
それに対して、こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学的方法である。言いかえれば、究極的な目的であるなぜ(Why)を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、どのような(How)現象が起きているのかを記述するとこと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係を分析しようとするのが科学である。そのような情報をかき集めて、一定な条件を集めれば特定の結果が得られることを示せるならば、重要な結果を得たと言えようし、その間の科学的説明ができるならば、科学の発展にそれなりの貢献ができたと言えよう。
その意味で、帰納法こそが科学の原点である。 科学革命の時代以降、科学的方法が次第に形成され、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについて、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを地道に発達させてきた。ただしどのような方法なら科学的と見なせるのかという境界線は必ずしも明らかなわけではなく、科学者らは議論を重ねてきた歴史があり、現在でも議論は続けられている。現代における一つの指針としては、全米科学振興協会によるすべてのアメリカ人の科学(詳細は科学的方法を参照)がある。
数世紀におよぶ議論は混沌としていたが、20世紀前半の科学哲学者カール・ポパーが反証可能性の概念を提示し、それを条件とすることで理論が科学(彼が考える狭義の科学)に属するかそうでないかを線引きできることを示してみせた。混沌とした議論に悩まされ続けていた科学者らの中には反証可能性の概念や反証主義をひとつの解決策として歓迎する人が多かった。