秋山準
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秋山準
プロフィール
リングネーム秋山準
ホワイトサンタ
Mr.クリスマス
本名秋山潤
ニックネームスターネス
ブルーサンダー
身長188cm
体重110kg
誕生日1969年10月9日(38歳)
出身地大阪府和泉市
所属プロレスリング・ノア
スポーツ歴レスリング
水泳
トレーナージャイアント馬場
ジャンボ鶴田
小橋健太
デビュー1992年9月17日
 ・編・歴 

秋山 準(あきやま じゅん、本名:秋山 潤、1969年10月9日 - )は、プロレスリング・ノアに所属する男子プロレスラー大阪府和泉市出身。身長188cm、体重110kg。血液型AB型。また有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーション代表取締役社長である。

なお全日本プロレス時代はリングネーム「準」の下部にある「十」の右下に「、」をつけていた(命名の際、デビューから一定期間を過ぎたら「、」を外すよう、命名者に言われていたらしい)。

かつては、対戦相手の負傷箇所を非情なまでに痛めつけるファイトスタイルから「氷の秋山」「キラー秋山」等と呼ばれた。現在は、他団体マットに積極的に参加している。
目次

1 来歴

1.1 学生時代

1.2 全日本プロレス

1.3 プロレスリング・ノア


2 入場曲

3 主な得意技

4 主な獲得タイトル

4.1 プロレスリング・ノア

4.2 全日本プロレス


5 人柄

6 関連項目

7 関連リンク

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来歴


学生時代

中学時代は水泳部に所属。レスリング高石高校進学後から始めたが、フリースタイル81kg級でインターハイ国体に出場するなど、素質とセンスの高さを見せた。専修大学レスリング部時代(3年上の先輩に中西学がいる、柔道部の高阪剛同級生友人。)は1年時に全日本学生選手権で準優勝を果たす他、4年時にはレスリング部の主将も務める。


全日本プロレス

バスの中で疲れてうなだれるサラリーマンの姿を見て自分はああなれないと悟り、プロレスラーとして生きることを決意した。全日本プロレス入団へのきっかけとなったのはジャイアント馬場自らのスカウトによる。馬場が秋山と専大関係者を食事に誘った際に「何も心配することは無いんだよ」と秋山にアプローチした。秋山は元々新日本プロレスの入団テストを受験していたが相手にされなかった事や、秋山自身がジャンボ鶴田のファンだったこと、更に専大レスリング部監督の松浪健四郎(現・衆議院議員)が新日本プロレスとトラブルを起こし全日本プロレス寄りにシフトチェンジしたことも重なり、馬場本人からのスカウトに感動して全日本プロレスへ入団した。全日本プロレスの長い歴史の中でも馬場自らがスカウトに動いた選手はほとんどいない。秋山が全日本プロレスに入団する事を知った専大OBの長州力は「なんであんないい奴、取らないんだ!」と、同じく専大OBで当時新日本プロレスのスカウトも兼務していた馳浩を怒鳴りつけたそうである(後日、馳はこの件について「秋山の古傷の腰の状態が思わしくない為、プロレスは無理だと判断した」と語っている)。このことから、アマレス時代からプロレス向きの類稀なる才能を見せていたことが分かる。

入団当初からジャンボ鶴田二世として期待され、1992年9月17日後楽園ホールのセミファイナル(45分1本勝負)・小橋健太戦でデビューすると、同年末の『'92世界最強タッグ決定リーグ戦』には病気療養中の鶴田の代役として出場を果たす(パートナーは田上明)。その後も同期の大森隆男や、先輩三沢光晴、小橋とのタッグでタイトルを獲得するなど、団体の看板レスラーの一人に成長する。関係者も「身体を一回り小さくしたジャンボ鶴田」と唸るほどの成長を見せ、1回教えた技はすぐに実戦でも有効となるレベルで使えるなど、器用さも鶴田に良く似ていた。その後は三冠ヘビー級ベルト戴冠は無いものの、プロレス四天王と並ぶ五強と呼ばれた。


プロレスリング・ノア

2000年7月、全日本集団離脱からプロレスリング・ノアに移籍。旗揚げ戦初戦のメインで小橋とタッグを組み、1本目を三沢から、2本目を田上から取る。翌日のメインでの小橋とのシングルでも勝利を収める快挙を見せるなど、以降は団体の中心選手として活躍。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki