福祉国家(ふくしこっか 英:Welfare State)は、国家の機能を安全保障や治安維持などに限定(夜警国家)するのではなく、社会保障制度の整備を通じて経済的格差を是正すること。広義には、財政政策や雇用政策を含めた行政国家や大きな政府を意味する。「福祉国家」の語は、第二次世界大戦中にイギリスが連合国を福祉国家、枢軸国を戦争国家(英:Warfare State)と政治宣伝したのが始まり。
福祉国家論(ふくしこっかろん)は、福祉国家の形成、発展、変容の要因に関する研究のこと。オイルショック以後の「福祉国家の危機」に対する各国の対応が一様でなかったことから、福祉国家の多様性が意識されるようになり、福祉国家論が発展する契機なった。特にイエスタ・エスピン=アンデルセンが福祉国家に代わる新しい概念として福祉レジーム論を提起し、社会保障政策の特徴やグローバル化への対応の多様性を経済レジームや政治的党派性との連関で論じた。
福祉国家の内容である社会保障政策については社会保障を参照。
目次
1 収斂理論
2 福祉国家の再編成
3 福祉レジーム論
3.1 概要
3.2 社会民主主義的福祉レジーム
3.3 自由主義的福祉レジーム
3.4 保守主義的福祉レジーム
3.4.1 家族主義的福祉レジーム
3.5 1人あたり購買力平価GDPの比較
3.6 所得格差の比較
4 福祉国家の縮減と非難回避
5 脚注
6 関連項目
7 参考文献
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初期の福祉国家研究では、各国は経済成長に応じて単線的に福祉国家を発展させているとする収斂理論が支配的であった。たとえばハロルド・ウィレンスキーは、64ヵ国の社会保障支出の対GNP比の差異を説明する独立変数としては経済水準が最も重要であり、また人口の高齢化も非常に重要である一方、イデオロギーや政治体制の差異は説明変数として有意ではない、と指摘している[1]。
オイルショック以降、低成長化で税収が減少する中で社会保障支出が国家財政を圧迫するようになった。また、資本移動の自由化によって企業の発言力が増大する一方、サービス産業化によって労働組合の影響力が低下した。さらに、社会保障に限らず経済一般についても、国営企業の非効率性(イギリス)、労使協調体制の後退(ドイツにおけるコーポラティズム)など、従来の経済政策の閉塞化が問題となった。
こうした状況下で福祉国家の行き詰まりが指摘され、特に新自由主義が台頭した国々では社会保障の削減が実施された。イギリスでは、1979年にマーガレット・サッチャーが政権を獲得して以降、福祉国家の解体が推し進められた[2]。カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどでも似た政策が推進された。これらの国はもともと典型的な福祉国家とは異なる政策が採られていたが、これら一連の改革以降、アメリカ化・福祉のビジネス化が更に推進されることとなった。また、当のアメリカにおいても、ロナルド・レーガン大統領が社会保障の削減[3]を実施したほか、カリフォルニア州の住民投票「プロポジション13」が「納税者の反乱」「福祉反動」の象徴と見做された。
一方、北欧諸国では経済・社会の諸問題を解決するための改革が押し進められ、少子化対策への投資、社会保障制度の一元化などが行われた。これら北欧福祉国家の再編成は「福祉国家のバージョンアップ」と呼ばれる。
このように、グローバル化や脱工業化によって福祉国家が危機に晒されているという条件は同一でありながら、各国の対応は一様でなかった。このことが、社会保障の拡充は左派と右派を超えた「戦後合意」ではなく、政治的党派性や経済レジームによって福祉国家が多様に発展していることを認識させ、福祉国家論の発展を促した。
1990年にデンマークの社会学者エスピン=アンデルセンが提起した。
西側先進諸国を3つの類型に分け、自由主義的福祉国家(北アメリカやイギリス)、保守主義的福祉国家(大陸ヨーロッパ)、社会民主主義的福祉国家(北欧)とし、福祉国家の発展は1つではないと論じた。