福原愛
生年月日:1988年11月1日(19歳)
没年月日:
最高世界ランク:{{{最高世界ランク}}}位
利き腕:右
グリップ:シェークハンド
戦型:異質前陣攻守型
ファア面ラバー:裏ソフトラバー
バック面ラバー:表ソフトラバー
福原 愛(ふくはら あい、1988年11月1日 - )は、日本の卓球選手。宮城県仙台市生まれ、血液型はB型。 早稲田大学スポーツ科学部1年生で全日本空輸(ANA)所属。日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。2008年5月時点での世界ランクは13位。
目次
1 来歴
1.1 幼少〜中学
1.2 アテネ五輪
1.3 その後
2 人物
2.1 中国での評価
2.2 語録
3 進学
4 家族のサポート
5 卓球スタイル
6 エピソード
7 戦歴
7.1 アテネオリンピックでの対戦成績
8 受賞
9 主な出場イベント
10 過去のテレビ出演
10.1 CM出演
10.2 アテネ五輪の試合放送
11 福原の関連書籍、商品など
12 その他
13 外部リンク
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1988年11月1日に仙台で生まれた福原は3歳9ヶ月から卓球の英才教育を受け、4歳でテレビに初登場し、「天才卓球少女」「泣き虫愛ちゃん」と呼ばれるようになった。一躍国民的アイドルとなった5歳10ヶ月で全日本選手権バンビの部(小2以下)史上最年少で優勝、以降数ある大会で優勝し、史上最年少記録を多く作った。 小4でプロ宣言し、ミキハウスと専属契約を結び、仙台より大阪へ引っ越した。小6の6月に、ITTFジャパンツアー一般の部に選ばれ初出場で代表デビューを果たす。中1の4月に公立中学に入学したが、卓球面での環境を考え青森に引越した。以降、中学の3年間は世界各地のITTFツアーに数多く出場。安定した成績を見せ、世界ランキングを上げていった。この頃国内の高校以下では無敵となり、また国際試合での強さも見せ、国内シニアの選手にも勝てるようになっていった。選考会などを経て14歳の若さで世界卓球選手権に抜擢され出場したが日本勢の中で一人躍進、ベスト8まで進む快挙を成し遂げた。このことがアテネ五輪出場につながった。
2004年アテネ五輪の年、日本より一人選ばれたドーハでの大陸予選を勝ち抜け、その前年に「オリンピックは夢の夢の夢の夢」と言っていた福原が日本女子3枠目の座を勝ち取った(他は梅村、藤沼。なお、小西と組んで挑んだダブルスは予選で敗退)。長嶋茂雄の代役として、聖火リレーの最終走者も務めた。アテネ五輪では1回戦をシード通過、2回戦をミャオミャオに辛勝、3回戦はガオ・ジュン(高軍)に圧勝、4回戦はキム・キョンア(金?娥)に負けた。福原の試合はゴールデンタイムで放送され、3回戦はメダルのかかってない試合にもかかわらず平均20.1%、最高視聴率31.9%を獲得。これはアテネ五輪放送の中でトップクラスの数字だった。
2005年3月にはミキハウスとの契約をが満了し、翌月グランプリとの契約を結ぶ。直後に、中国で最もレベルの高い超級(スーパー)リーグに参加、遼寧本鋼チームと契約した。この超級リーグは週1,2回の日程、広大な中国大陸を試合毎に行き来する移動に多忙を極めたが、福原は全試合に出場した。だが、チームに世界2位の王楠、4位の郭躍がいた為、シングルの出番が少なくダブルスが多かった。期間中は中国のインタビュー番組や、卓球の雑誌にも登場した。8月の最終戦は岡山県で、日本で初の超級の試合を行った。2005年2月にはアジアカップで強豪の郭炎を破り2位に、同年11月の女子ワールドカップ(各大陸の世界ランキング上位者と推薦選手の16人でのITTF大会でまだ新しい大会)に推薦が決まり出場したが、リ・ジャウエイやティエ・ヤナといった強豪相手に快進撃を続け見事3位銅メダルを獲得し、世界ランクを一気に16位まであげた。2006年5月には世界選手権団体で銅メダル(2004年ドーハ団体に続き2度目)を獲得した。放送したテレビ東京の視聴率も最高12%を出し好調だった2006年度はチームを広東佐川急便に変えて超級リーグに参加(なお、チームの2006年度オーナー権を福原サイド(千秀企画)が買っている)。 2007年4月1日には早稲田大学スポーツ科学部に入学し、青森から引っ越した。2007年4月3日、全日本空輸(ANA)との所属契約(単年)を発表、同時にグランプリとの4年契約を2年で終了したことを発表した。2007年5月の世界選手権個人戦では3回戦敗退。大学の試合には春季リーグ以降出ておらず、個人練習での強化につとめている。TVでは2007年4月よりとっさの中国語にレギュラー出演中。2008年1月、世界ランクが10位と、上位20位以内なので北京五輪日本代表に内定した。北京五輪は平野早矢香、福原、福岡春菜の3人でシングル、団体戦に出場する。