神田神保町
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この項目では書店街として著名な東京の(神田)神保町について記述しています。そのほかの神保町については神保町をご覧ください。日本 > 東京都 > 千代田区 > 神田神保町神田古書店街

神田神保町(かんだじんぼうちょう)は、東京都千代田区地名で、旧神田区地域内である。

郵便番号 101-0051
目次

1 概要

2 沿革

3 書店街・古書店街

4 飲食店街

5 周辺地域

6 奇数番地と偶数番地

7 再開発事業・ジェイシティ東京

7.1 神保町101ビル

7.2 東京パークタワー

7.3 神保町三井ビルディング

7.4 再開発事業の沿革


8 交通

9 同町を舞台・背景とした作品

10 補足

11 関連項目

12 外部リンク

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概要

中心部には東西に靖国通りが、南北に白山通りが敷設されており、この交差地点が神保町交差点である。多くの書店出版社、出版問屋の取次店が所在し、世界最大級の古書店街として知られている。また、スポーツ用品店や登山用品店も多く立ち並ぶ。

神保町とその周辺には大学専門学校が集まっているので、学生街としての一面を持つ。そのため書籍のほか、マニアックな音楽媒体やアイドル関連の物品を売るところが充実している。また、安価な飲食店が多く立ち並んでいる。


沿革

「神保町」の名は、江戸時代旗本・神保長治に由来する。彼の邸宅は現在の神田神保町二丁目にあり、その前面を通る道は「神保小路」と呼ばれていた。

1913年大正2年)、当時小川町を広域地名としていたこの辺り一帯が、大火で焼失した。元神田女学校教員岩波茂雄が焼け跡に古書店を開き、同店内で夏目漱石の作品や『哲学叢書』の出版販売も行って大成功を収めた[1]

1921年(大正10年)、神田区駿河台に芸術教育で名高い「文化学院」が開校され、音楽、美術、舞踊など芸術関係書が濃紺くるみの学術書、けばけばしい猥雑本とともに書店の軒先に彩りを添えるようになり、「ない本はない」ありさまとなった。震災後、復興事業として一大舗装道路「大正通り」(現・靖国通り)が完成すると、交差点名として「神保町」が登場、昭和期には今日と変わらぬ景観を呈した。戦時中には、アメリカ軍が「神保町の古書が焼失することは、文化的に極めて大きな損失である」として、この一帯のみ空襲を避けたという都市伝説もある。

1987年バブル期の頃は、地価高騰の中で都心にも関わらず地価に割安感があったため、神保町の各店舗が地上げ屋の格好のターゲットとなり、放火などの事件も発生する。しかし各店舗が一致団結してこれに抵抗したため、結果的に大多数の店舗がこの地に残る事になった。


書店街・古書店街

神田古書店街も参照

神田古本祭りや神保町ブックフェスティバル等、に関するイベントも毎年行われている世界最大級の書店街である。特に古書店が多く、古書店街としても世界最大級である。神保町最大の書店は三省堂書店神田本店で、神保町のランドマーク的存在として親しまれている。神保町は三省堂書店創業の地でもある。その他の大規模店舗としては、書籍チェーンを展開する書泉も所在するが、大部分の店舗は、専門性のある著名な店舗であっても、小規模な書店・古書店である。

古書店の多くは靖国通り沿いにあり、それらの多くは通りの南側に、すなわち北向きに建っている。これは、日光が当たって古書が傷むのを避けるためといわれている。

靖国通り開通以前は神保町すずらん通りがメインストリートであったが、すずらん通り沿いの古書店もほぼ北向きに立っている。三省堂書店もかつてはすずらん通り側(「けやき広場」のある方)が正面であった。


飲食店街

タンゴがかかる老舗喫茶店(2008年1月)裏通りにはうまくて安く量も多いと評判の店も(2006年11月)

飲食店が充実しており、カレー専門店が多いことから「カレーの街」と知られている[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki