神奈川宿
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神奈川宿(歌川広重『東海道五十三次』より:現在の青木橋付近から横浜駅方面を望む)葛飾北斎「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」

神奈川宿(かながわじゅく)は、東海道五十三次宿場の一つ。今の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近にあった。付近には神奈川湊があった。

神奈川宿は、神奈川湊の傍に併設された町であり、相模多摩方面への物資の経由地として栄えた。なお幕末には開港場に指定されたが、実際に開港したのは対岸の横浜村(現在の中区北側近辺)であった。

東海道は、このあと台町の高台を越え、現在の環状1号に沿って天王町駅保土ヶ谷駅方面へ進む。

開国以降次第に商業の中心を横浜村(→横浜町)に奪われ衰退した。明治22年(1889年)に神奈川町が成立、明治34年(1901年)に横浜市に編入された。


神奈川湊

神奈川湊(かながわみなと)は、武蔵国橘樹郡神奈川(現・神奈川県横浜市神奈川区)にあった湊(港)である。

神奈川湊が記録に現れるのは、鎌倉幕府が置かれた13世紀以降のことである。しかし、古代から東京湾内海交通の拠点として、六浦(神奈川県横浜市金沢区)・品川東京都品川区)・富津(千葉県富津市)・木更津(同木更津市)などとともに、当地に港が存在したことは確認されている。

神奈川湊とその湊町は、鎌倉時代には鶴岡八幡宮が支配し、室町時代には関東管領上杉氏の領地となった。江戸時代には東海道が整備され、慶長 6年(1601年)に神奈川へ宿場が置かれた。神奈川宿と神奈川湊は、幕府の直接支配を受け、神奈川陣屋がこれを担った。神奈川湊の周辺には、北に生麦湊、新宿湊があり、南に戸部湊、野毛湊があった。

安政 5年(1858年)、神奈川湊沖に碇泊していたポーハタン号上で日米修好通商条約が締結された。同条約では「神奈川」を開港すると定められていた。しかし、街道を通行する日本人と、入港する外国人との間の紛争を避けるために、神奈川湊の対岸にある横浜村に港湾施設や居留地をつくり、開港した。これが現在の横浜港となった。そのため、外国人に対しては横浜は神奈川の一部と称した。


名所・旧跡

台町

神奈川台関門

神奈川御殿 - 将軍上洛や鹿狩りの際の宿泊施設。利用されなくなったため、17世紀半ばに廃止。仲木戸という地名は御殿の木戸があったことに因むという。

神奈川陣屋 - 付近一帯の幕府領を所管する幕府機関

大綱金刀比羅神社

洲崎大神

青木橋

料亭 田中家 - 文久年間の創業、現在も料亭として現存。坂本竜馬の妻おりょうも女中として働いていたことがある。

茶屋桜屋 - 料亭 田中家の前身

慶運寺 - 旧フランス領事館・浦島太郎が竜宮城から持ち帰った観音像がある。

浄瀧寺 - 旧イギリス領事館

本覚寺 - 旧アメリカ領事館

長延寺 - 旧オランダ領事館

甚行寺 - 旧フランス公使館

成仏寺 - 旧アメリカ人宣教師の宿舎で、ヘボン式ローマ字で知られる宣教師ヘボンが滞在していた。

滝野川・滝野橋

神奈川台場(大半が埋蔵となっており、現在、発掘が進む)

権現山古戦場

熊野神社


隣の宿場

川崎宿 - 神奈川 - 程ヶ谷宿

 東海道

江戸日本橋) - 品川 - 川崎 - 神奈川 - 程ヶ谷 - 戸塚 - 藤沢 - 平塚 - 大磯 - 小田原 - 箱根 - 三島 - 沼津 - - 吉原 - 蒲原 - 由比 - 興津 - 江尻 - 府中 - 鞠子 - 岡部 - 藤枝 - 島田 - 金谷 - 日坂 - 掛川 - 袋井 - 見附 - 浜松 - 舞坂 - 新居 - 白須賀 - 二川 - 吉田 - 御油 - 赤坂 - 藤川 - 岡崎 - 池鯉鮒 - 鳴海 - - 桑名 - 四日市 - 石薬師 - 庄野 - 亀山 - - 坂下 - 土山 - 水口 - 石部 - 草津 - 大津 - (三条大橋京街道大坂街道) (京) - 伏見 - - 枚方 - 守口 - (大坂高麗橋


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki