砂防ダム(さぼうダム)とは、小さな渓流などに設置される土砂災害防止のための設備(砂防設備)のひとつ。砂防法に基づき整備され、いわゆる一般のダムとは異なり、土砂災害の防止に特化したものを指す。近年ではダムとの区別化を図るために砂防ダムとは呼ばず、砂防堰堤(さぼうえんてい)と呼ぶ方が正しいとされる。
なお、似たような構造物に床固工(とこがためこう)があるが、両者の区分を便宜上、ダム高が10メートル以上のものを「砂防堰堤」といい、それ以下のものを「床固工」と呼んで区別することもある。目的による区別では、前者の目的は土石流の停止、流出土砂量の調整、地すべりに対して堆積土砂による押さえ盛土としての効果を期待するもの、河床の縦浸食の防止などを目的とするのに対し、後者は河床の縦断形状の安定を期待するものであることが多い。
目次
1 構造
2 日本における砂防ダムの歴史
2.1 日本における代表的な砂防ダム
3 関連項目
4 外部リンク
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一般的なダムに酷似しているものの、目的が土石流をはじめとする土砂災害の防止であるため、原則として貯水機能はない(まれに灌漑用堰堤と共用したものなども見られるが、一般的ではない)。通常のダムがアーチダム、アースダムなど様々な形式があるのに対して、砂防ダムの本体は重力式コンクリートダムに類似した構造が一般的である。しかし、前面の傾斜(前法勾配)が通常の重力式コンクリートダムと違い、かなり急であることが特徴的である。これは砂防えん堤を越流する砂礫による磨耗を避けるためである。また、通常のダムは本体の自重や止水壁で水圧を支える構造となっているが、砂防えん堤の場合には本体の両側(袖部という)を両岸に大きく突っ込んだ構造となっている。これは平常時の水みちの固定を目的としたものである。また、ダム下流部における浸食を防ぐ目的として、ダム下流端にコンクリートによる床(『水叩き』と呼ばれる)を設ける。また、やや下流に小規模な砂防ダム(これを『副ダム』と呼ぶ。)を設け、それにより得られる水褥池による緩衝効果を期待する場合もある。
上部には『水通し』と呼ばれる越流部を設けるのが一般的であり、同時に本体に大きな水抜き穴を設ける。近年では、流水の流下を助け、流木や巨石だけを受け止めることに特化させる目的で、ダム中央部の本体をなくし、代わりに中央部に鋼製の枠などを設けた透過型砂防堰堤(スリットダム、セルダム)と呼ばれる構造も増えてきている。
砂防ダムの主目的は、提体の上流側に砂礫を堆積させ、それにより河川勾配を緩やかにさせ、その河川の侵食力を小さくすることにある。
日本における砂防ダム(砂防堰堤)の始まりは定かではないが、広島県福山市の堂々川には、1773年から築堤された砂防ダム(砂留)が残っている。
明治時代には、お雇い外国人であるヨハニス・デ・レーケが来日。現在の砂防ダムの基礎となる思想や工事の体系を構築した。その後、フランスからの技術導入(階段工など)や留学を終えた日本人技術者達により現在の砂防事業の体系が確立された。1897年(明治30年)には砂防法が成立し、現代に至る近代砂防事業の始祖となる。
砂防法成立時、事業主体については2都道府県以上にまたがる砂防事業は国の直轄事業として、1都道府県内は各都道府県の事業として行うとされ、これが現在まで継続している。
ただしこれには例外もあり、大規模災害に伴う砂防ダムの整備は1都道府県内の事業であっても国直轄により行われることも多い。例えば立山(富山県)における砂防ダム整備事業は現在国の直轄事業となっている。これは、飛越地震により発生した鳶山崩れに伴う立山カルデラの土砂流出対策事業として、当初は富山県が1906年(明治39年)から国庫補助を受けて白岩砂防ダムより上流の砂防工事に着手したものの、度重なる破壊と莫大な費用がかかり、1926年(大正15年)に特例事業として国直轄の事業に変更となったものである。また、1999年(平成11年)以降行われている雲仙普賢岳(長崎県)の火砕流に対応するための砂防ダムの整備も国直轄により行われている。
日本における代表的な砂防ダム
本宮砂防ダム(国の登録有形文化財指定):1937年(昭和12年)完成。日本一の貯砂量を誇る。
白岩砂防ダム(国の登録有形文化財指定):1939年(昭和14年)、10年の歳月をかけ完成。7基の副ダムの複合体としての砂防ダム。高さ63m、落差108mの規模は、ともに日本一の高さを誇っている。
立山カルデラの砂防事業だけでこの2つの日本一の砂防ダムを有している。
関連項目
砂防
砂防法
災害
土砂災害
地すべり
治山ダム(森林法による類似事業)
流路工
帯工
床固工
外部リンク
⇒全国砂防施設写真館(国土交通省砂防部)
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