石嶺聡子
基本情報
出生名石嶺聡子
出生日1975年10月3日(32歳)
血液型A型
学歴沖縄県立首里高等学校卒業
出身地 日本・沖縄県那覇市
ジャンルJ-POP
職業歌手、シンガーソングライター
担当楽器ボーカル、ギター
活動期間1994年 -
影響欧米のミュージシャン多数
公式サイト ⇒satokoishimine.com
⇒公式ブログ
表・話・編・歴
石嶺 聡子(いしみね さとこ、本名:石崎(いしざき)聡子、1975年10月3日 - )は、沖縄県那覇市出身の歌手、シンガーソングライター。夫はギタリストの石崎光。
目次
1 来歴・人物
1.1 来歴
1.2 人物
2 こころの音 - 「花」からの旅立ち
3 代表曲
4 ディスコグラフィ
4.1 シングル
4.2 アルバム
5 ラジオ番組
6 外部リンク
//
ビートルズやカーペンターズなどの洋楽から、レベッカやユニコーンなどの邦楽まで、様々な音楽が溢れる、音楽好きの家庭に育つ。
司会業の父の影響で子供の頃から人前で歌うようになり、アマチュア時代から沖縄県内で注目された存在だった。
1992年、首里高校2年生在学時に琉球放送代表として出場した、第16回長崎歌謡祭(長崎放送主催)でグランプリを獲得したのを機に、その類い稀な歌唱力に目をつけた東芝EMIの篠木雅博プロデューサー(当時。現在徳間ジャパンコミュニケーションズ執行役員 制作本部本部長代理)にスカウトされる。
高校卒業後、アメリカ・ロサンゼルスでボイストレーニングとダンスレッスンを受けた後、1994年11月9日「土曜日とペンと腕時計」(TBS「ブロードキャスター」エンディング曲)でメジャーデビュー。
翌1995年、NHK「第5回新人歌謡コンテスト」に出場し優勝。同年、東宝映画「ひめゆりの塔」主題歌として喜納昌吉の代表曲「花」をカバーし、CD売り上げが50万枚を越える大ヒット。この年の紅白歌合戦に「花」で出場した。
さらに翌1996年3月30日、インドネシア・バリ島で開催された「第1回アジア音楽祭」で「Asian Dream」を歌い、グランプリを獲得する。
しかし、「花」が大ヒットしたものの、「花の石嶺聡子」と言われて悩み、自分の理想の音楽を追い求めていく。(後述)
2000年12月6日に約2年ぶりとなるシングル「マフユノハナビ」、翌2001年1月には約3年ぶりとなるアルバム「クロゼット」をリリース。等身大のポップな歌へと音楽を一新する。
2003年、東芝EMIとの契約を終了し、PRHYTHM(プリズム:レーベル、プロダクション)に移籍する。
同年9月にシングル「うたたね」、12月にアルバム「ブルーミーバルーン」を発売。
2006年3月3日、ギタリストの石崎光と入籍。それと同時にプリズムから独立し、新たな音楽活動を始める。
現在は、都内ライブハウスを中心にインディーズアーティスト、シンガーソングライターとして活動中。
今現在は創作活動中。
透明感のある真っ直ぐで力強い声と、ごまかしのない伸びやかな歌唱が幅広い年齢層から支持され、今でも根強い人気がある。
バラードからロック調の歌、アカペラや英語曲まで難なくこなす実力者。ギターによる弾き語りも行う。