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矢作 俊彦(やはぎ としひこ、1950年 - )は、日本の小説家。
目次
1 来歴・人物
2 受賞歴
3 著書
3.1 司城志朗との共著
3.2 エッセイ集
3.3 その他連載
4 漫画原作
5 漫画(ダディ・グース名義)
6 映画監督作品
7 研究本
8 外部リンク
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神奈川県横浜市生まれ。東京教育大学付属駒場高等学校卒。
17歳の時ダディ・グースの筆名で漫画家デビュー(コミックサンデー)。以後、創刊間もない週刊漫画アクションで型破りな作品を発表するが、しばらくして沈黙。「幻の作家」として伝説となる。
1972年 ハードボイルド短編小説『抱きしめたい』(ミステリマガジン)で小説家デビュー。筆名「矢作俊彦」は、同誌の編集長だった太田博(各務三郎)が命名した。
70年代を通じ短編小説、漫画を手掛ける傍ら、ラジオ・TVドラマの構成作家としても名を成し、日下武史による長編朗読劇『あいつ』(FM東京)では特に高い評価を得る。
1977年 初の長編小説『マイク・ハマーへ伝言』を上梓、日本人ばなれしたスタイリッシュな、ハードボイルド小説の旗手として、注目を集める。1980年には、漫画界の新星大友克洋との共作『気分はもう戦争』を漫画アクションに連載開始(単行本刊行は1982年)。当時、気鋭の作家同士のコンビとあって話題ともなり、現在でも読みつがれるロングセラーとなっている。
1980年代には、単独作及び司城志朗との共作で、ハードボイルド作品、冒険小説、カー・アクション小説などを発表。また、漫画家谷口ジローとも、「マンハッタン・オプ」シリーズの挿絵担当、共作漫画『サムライ・ノングラータ』などでコンビを組んでいる。
1990年代以降は活動領域を広げ、全共闘世代の今を描いた小説『スズキさんの休息と遍歴』(1990年)が各界で激賞され、NHKでドラマ化された。なお、「スズキさん」のモデルは、実際に元学生運動(第二次ブント)の活動家で「マルクス主義者」を自認し、1989年から1999年まで自動車雑誌「NAVI」編集長をつとめた鈴木正文であり、この小説は「NAVI」に連載された。
映画にも進出し、日活アクション映画の名場面集アンソロジー『アゲイン』、自作を監督した『神様のピンチヒッター』(主演:江口洋介)、近未来の新宿を舞台にした日活アクションへのオマージュ的な監督作『ザ・ギャンブラー』(主演:松田ケイジ)を公開。更に、バブル崩壊後の日本を題材にフォト・エッセイ『新ニッポン百景』を発表するなどした。
1997年の大作『あ・じゃ・ぱん!』は、偽現代日本史として、また世界の文学作品のパロディを縦覧網羅した奇書として、福田和也(『作家の値うち』では90点)や?秀実(『ららら科學の子』を凌ぐ怪作)など批評家から高く評価される。同年より「文学界」に連載した『ららら科學の子』は、米国における同時多発テロの影響で執筆中断を余儀なくされたが、2003年に刊行。やはり福田和也が週刊新潮の「闘う時評」で激賞し、朝日新聞「回顧2003 文学」の「私の3点」に挙げるなど読書界の話題を浚う。
最近作には、、詩人堀口大學の青春を綴った作品『悲劇週間』(2005年)がある。元来、寡作であったが、近年の活躍ぶりにはめざましいものがある。
受賞歴
1983年 - 『暗闇にノーサイド』(司城志朗との共著)で第10回角川小説賞。
1998年 - 『あ・じゃ・ぱん!』で第8回Bunkamuraドゥマゴ文学賞。
2004年 - 『ららら科學の子』で第17回三島由紀夫賞、『ロング・グッドバイ』で第23回日本冒険小説協会大賞。
著書
マイク・ハマーへ伝言 (1978年)
リンゴォ・キッドの休日 (1978年)
神様のピンチヒッター (1981年)
マンハッタン・オプT (1981年)
マンハッタン・オプU (1982年)
死ぬには手頃な日 (1982年)
ブロードウェイの自転車 (1983年)
さまよう薔薇のように (1984年)
マンハッタン・オプ1/凝った死顔 (1985年)
マンハッタン・オプ2/笑う銃口 (1985年)
マンハッタン・オプ3/はやらない殺意 (1985年)
真夜中へもう一歩 (1985年)
舵をとり風上に向く者 (1986年)
コルテスの収穫・上 (1987年)