真田裕貴
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真田 裕貴
横浜ベイスターズ No.57
基本情報
国籍 日本
出身地兵庫県高砂市
生年月日1984年2月7日(24歳)
身長
体重181cm
83kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置投手
プロ入り2001年 ドラフト1巡目
初出場2002年7月7日
年俸1,800万円(2008年)
経歴


兵庫県立姫路工業高等学校

読売ジャイアンツ(2001 - 2008)

横浜ベイスターズ(2008 - )

■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手

真田 裕貴(さなだ ひろき、1984年2月7日 - )は、横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。
目次

1 経歴

2 プレースタイル

3 人物

4 年度別投手成績

5 記録

6 背番号

7 関連項目

//


経歴

兵庫県高砂市出身。高砂市立宝殿中学校から兵庫県立姫路工業高等学校に進学後、エースで4番として2001年のセンバツに出場。初戦の日大三高戦では近藤一樹から本塁打を放ったが敗退。夏は県大会決勝でグエン・トラン・フォク・アン擁する東洋大姫路高校に惜敗。その後AAAアジア野球選手権日本代表に選出され先発投手として好投した。同年秋のドラフト会議で、寺原隼人の外れ1巡目として読売ジャイアンツに指名され入団。高校時代は最速144km/h、高校通算25本塁打を記録。いわゆる「外れ1位」だが、「逆指名・統一ドラフト制度下」で巨人が高卒選手を1位指名したのは真田と原俊介の2人だけである。入団会見ではセールスポイントを訊かれ「溶接が得意です」と工業高校出身らしい珍解答をした。日本テレビなどが紹介する入団当時のキャッチフレーズは『真田幸村の末裔』だった。

ルーキーイヤーの2002年はシーズン序盤からイースタン・リーグで好投、当時の月刊ジャイアンツの記事によるとジャイアンツ球場での試合で最速145km/hを記録、日本ハム戦で金子誠らを含む相手のバットを8本折り、相手から「あんなえげつないスライダー(またはシュート)は初めてだ」と言わしめた。後半戦は一軍の先発ローテーションに定着し、6勝3敗の成績を残し優勝に貢献。シュートを持ち球にしていること、死球を恐れない物怖じしない度胸、18歳とは思えない投球術を絶賛された。ドラフト制導入後の高卒1年目での6勝以上は巨人では堀内恒夫以来36年ぶりだった。

2003年はプロ入り初完投なども記録したものの先発としては精彩を欠き、開幕以降1ヶ月以上勝てなかった。前半戦途中からシュートを見込まれ崩壊状態に陥っていたリリーフに回り、中継ぎ抑えとフル回転。「入団当初の球が戻ってきた」と原監督に絶賛されたものの、連投の負担などで右肩痛を発症し7月26日に登録抹消されると、以降このシーズンの登板はなかった。

2004年は二軍の先発ローテーションとして復帰し規定投球回数に登板しているが、イースタン防御率は5.91。終盤に一軍で復帰登板したものの復活はならなかった。

2005年も二軍で先発投手として登板を続け、セ・パ交流戦で2年ぶりに勝利投手となった。この年以降大きくフォームを崩しており、ボールの切れ・制球が著しく落ち、同年は135km/h前後の球速に終始していた。翌年には142km/h程度まで球速が戻ったが、フォーム・切れ・制球は全快していない。

2006年は後半戦にリリーフとして一軍昇格し、中継ぎとして久々に及第点と言える成績を残した。

2007年は開幕一軍を勝ち取ったものの、結果を出せず一軍と二軍を往復していた。二軍では抑えとして起用され、チーム最多の13セーブを記録。同年12月には、スポーツ報知などのメディアが12月中に結婚することを報道した。

2008年6月10日鶴岡一成との交換トレード横浜ベイスターズへ移籍。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki