盛田幸妃
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盛田 幸妃

基本情報
出身地北海道茅部郡鹿部町
生年月日1969年11月21日(38歳)
身長
体重186cm
89kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置投手
プロ入り1987年 ドラフト1位
初出場1988年5月21日
最終出場2002年10月6日
経歴


函館有斗高校

横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ
(1988 - 1997)

近鉄バファローズ
大阪近鉄バファローズ
(1998 - 2002)

■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手

盛田 幸妃(もりた こうき、1969年11月21日 - )は北海道鹿部町出身の元プロ野球選手
目次

1 来歴・人物

2 略歴

3 球歴

4 背番号

5 通算成績

6 タイトル

7 エピソード

8 著書

9 出演番組

10 盛田幸妃を題材とした作品

11 関連項目

//


来歴・人物

現役時代は横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ大阪近鉄バファローズでプレイ。横浜時代は登録名を「盛田幸希」(読みは同じ)としていた。現在は横浜球団職員を務めながら、TBSラジオ専属の野球解説者として活躍。コピーは「奇跡のリリーバー」。またライツ・スポーツネットワークの講師の一人としても活動している。

ダイナミックなフォームから繰り出す速球と決め球の高速シュートが特徴。そのシュートは他球団の右打者たちを苦しめ、往年の三冠王落合博満(現・中日ドラゴンズ監督)は現役時代最も苦手だった投手の名を聞かれると、「盛田」と即答したという(落合の対盛田の生涯打率は.167だった)。ただし、その切れの良さ故死球になることも多く危険球退場したことも少なくない。


略歴

1987年 - 函館有斗高校のエースとして夏の甲子園に出場するも、1回戦で上原晃を擁する沖縄水産高校に敗退した。秋のドラフトで、大洋から1位指名を受け入団(なお、このドラフトで大洋は長嶋一茂を1位指名したが、複数球団競合指名による抽選の結果、ヤクルトが長嶋の交渉権を獲得したため、いわゆる「外れ1位」で盛田が指名された)。

1988年 - ルーキーイヤーのこの年、5月21日の中日戦で1軍デビュー。

1992年 - 江尻亮監督によって重用されるようになり、中継ぎ投手としてブレイク。ほとんどリリーフでの出場で規定投球回に達し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。オールスターゲームにも監督推薦で初出場。佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」と呼ばれる。

1993年 - 球団名が横浜ベイスターズに変更。前年同様の活躍を期待されるも、春季キャンプ前の自主トレ中に右ひざ靭帯を損傷し、シーズンをほとんど棒に振る。

1994年 - 登録名を「幸妃」から「幸希」に変更。同時に、前年引退した斉藤明夫から球団のエースナンバーである背番号17番を受け継ぐ。この年右ひじを手術した佐々木主浩に代わり、前半戦のクローザーを務める。

1995年 - セリーグ最多登板、オールスターゲームにも2度目の監督推薦で出場。

1996年 - 大矢明彦監督による大規模コンバートの一環として、先発投手に転向しシーズン開幕投手を務める。しかし、リリーフとの調整法の違いから制球に苦しむようになり、危険球で退場処分されたのを機に成績が落ち始める。

1997年 - 2年連続開幕投手となるが、6回3失点で敗戦投手となる。以後、登板試合数が減少。

1998年 - 中根仁外野手とのトレードで近鉄に移籍、登録名を「幸妃」に戻す。5月末頃から右足首の違和感や麻痺などが起こり8月13日に1軍登録抹消。検査の結果、ゴルフボール大の髄膜腫(良性の脳腫瘍)が発見され、9月に摘出手術を受ける。このとき右足に麻痺が残る後遺症があったがリハビリで克服。

1999年 - 驚異的な回復力で8月にはウエスタン・リーグに復帰、最終戦で一軍復帰。

2001年 - 34試合に登板、2勝を挙げ、チーム12年ぶりのリーグ優勝に貢献。オールスターゲームにも中継ぎ部門でファン投票1位で選ばれ、カムバック賞を受賞。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki