益子町
ましこまち国 日本
地方関東地方
都道府県栃木県
郡芳賀郡
団体コード09342-4
面積89.54km?
総人口24,849人
(推計人口、2008年7月1日)
人口密度278人/km?
隣接自治体真岡市、市貝町、茂木町、
茨城県桜川市
町の木アカマツ
町の花ヤマユリ
町の鳥ウグイス
益子町役場
所在地〒321-4293栃木県
芳賀郡益子町益子2030
電話番号0285-72-2111
外部リンク ⇒益子町
■:市 / ■:町 ⇒SVGMAP
⇒ウオッちず ⇒Google Map ⇒Live Search ⇒geohack
⇒mapfan ⇒yahoo ⇒navitime ⇒ゼンリン ⇒ちず丸
特記事項:
人口密度 278.7人/km?
■テンプレート (■ノート ■解説) ■日本の市町村PJ
益子町(ましこまち)は、栃木県南東部に位置する芳賀郡の町。益子焼の産地として知られる。町の花はヤマユリ、町の木はアカマツ、町の鳥はウグイス。それぞれ1977年に制定された。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 益子焼
3 文化財
4 人口
5 行政
6 教育
6.1 高等学校
6.2 中学校
6.3 小学校
7 交通
8 産業
9 姉妹都市
10 関連項目
11 外部リンク
//
関東平野の北に位置する。小貝川が町西側を北から南へと流れ、その河岸の平野部が町の大部分を占める。町の南部は茨城県と県境を接し、丘陵地となっている。町内最高点は標高533mの雨巻山である。
益子の古刹西明寺の伝承は、西明寺は737年(天平九年)行基の創建になり、紀有麻呂が建立したとする。10世紀には、宇都宮氏の郎党益子氏が勢力を張った。益子氏は紀氏を称し、西明寺城を本拠とした。平安末期から室町初期にかけて、建立された寺社が益子町にはよく残っている。源頼朝が奥州藤原氏討伐の兵を起こすと、益子正重は宇都宮氏の郎党として戦功を上げ、もう一人の宇都宮氏の郎党とともに、頼朝から源氏の旗である白旗一流を下賜された。鎌倉から南北朝にかけて、益子氏は宇都宮氏の郎党としてよく活躍した。益子には西明寺城を始め、七井城など、益子氏の城・砦が築かれた。南北朝の動乱のとき宇都宮氏が北朝につくと、南朝方の将軍春日顕時は常陸国を本拠として、1339年益子を攻めた。これは後に撃退されたが、1351年再び益子は戦場となり、西明寺の伽藍が焼失した。1394年益子勝直は西明寺の堂宇を再建した。ついで1492年には楼門、1538年(天文七年)には仏塔が益子家宗により再建された。しかし戦国期には益子氏は宇都宮氏と対立することが多くなった。家宗が家督を継いだ後は、隣接する領主と益子氏との争いが増し、1583年益子重綱(一伝によれば家宗弟)は宇都宮氏に背き、結果、1589年に宇都宮氏によって益子氏と西明寺城が滅びることとなった。
江戸期には那須黒羽藩大関氏に飛び領として加領され、幕末に到った。「下之庄」といわれ、陣屋が置かれた。1871年7月廃藩置県の後は、黒羽県から11月に宇都宮県に統合され、1873年に宇都宮県が栃木県に統合されるとともに、栃木県に帰属した。また1895年には益子町が設置され、のちには七井村、田野村が置かれた。
1911年(明治43年)軽便鉄道法が交付されると、鉄道院は幾つかの新規軽便線着工計画のなかに下館・七井を結ぶ真岡線を含めた。翌年には工事が開始され、1912年4月1日に下館・真岡間が部分開業した。