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百済
三国時代の地図、5世紀終わり頃
各種表記
ハングル:??
漢字:百濟
平仮名:
(日本語読み仮名)くだら、ひゃくさい
片仮名:
(現地語読み仮名)ペクチェ
ラテン文字転写:Baekje
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朝鮮の歴史
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百済(くだら/ひゃくさい/ペクチェ)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家(346年[1] - 660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて百済の存在した時代を朝鮮半島における、三国時代という。新羅を支援した唐によって滅ぼされ、故地は最終的に新羅に組み入れられた。なお、日本語における呼称「くだら」の由来は不明であるが、古くは「くたら」と清んで発音していたらしい。
目次
1 歴史
1.1 民族と言語
1.2 建国神話
1.3 前期-漢城時期(-475年)
1.4 中期-熊津時代(475年-538年)
1.5 後期-泗?時代(538年-660年)
1.6 百済復興運動
2 倭国との関係
3 王
4 官制
5 文化
6 脚注
7 関連項目
8 参考文献と外部リンク
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百済は4世紀中頃に国際舞台に登場する(『晋書』慕容部載記)。それ以前の歴史は同時代資料では明らかでない。『三国史記』では紀元前18年の建国とするが、韓国・北朝鮮以外では史実として採用されていない。。 通説では『三国志』に見える馬韓諸国のなかの伯済国が前身であろうとされているが詳細は不明である。
百済の言語についてはじめて記した史書は『梁書』である。同書は百済の言語はほぼ高句麗と同じと記し、『魏書』もそれを踏襲したが、『周書』は、百済王の姓は夫余氏であり、自ら「於羅瑕」と称していたこと、一方、民衆は「?吉支」と呼んでおり、どちらも王の意味であることを特記している。李基文は、この呼称の違いは王族をはじめとする支配層と民衆を中心とする被支配層とで言語が異なる二重言語国家であったことを示すものであり、この二重言語状態は高句麗と同じ夫余系言語を話す人々が韓系の言語を話す馬韓の住民を征服したことによって生じたと推定した。この推定に基づけば、『周書』以前の史書が百済の言語を高句麗とほぼ同じと記したのは、支配層の言語である夫余系百済語の方に注目したためであるということになる。
建国神話
中国の史料の伝える伝説
『後漢書』『宋書』『梁書』『南史』『隋書』などが採録した百済建国伝説をまとめると、百済は始めは高句麗と「ともに」遼東の東千里の地にあったというが、これは玄菟郡の設置から廃止までの経緯により先住民が高句麗と夫餘の二系統にわかれたことをいうのであろう。さて、その夫餘には、尉仇台という夫餘の王がいた。後漢の太守として183年に遼東に割拠した群雄公孫度(?〜205年。