百人一首(ひゃくにんいっしゅ、故実読みはひゃくにんしゅ)とは、古来の代表的な歌人百人について、一人一首を選んでつくった詞華集のことである。現在の日本においては通常、その中でも、小倉百人一首と通称される、藤原定家撰による新古今期までの代表的な歌人百人について作られた私撰和歌集を指す。以下では、この小倉百人一首について詳述する。
目次
1 歴史
2 百人一首の歌人達
3 使途
3.1 教材
3.2 かるた
3.2.1 散らし取り(お散らし)
3.2.2 逆さまかるた
3.2.3 源平合戦
3.2.4 リレーかるた
3.2.5 競技かるた
3.2.6 坊主めくり
3.2.7 青冠
4 異種百人一首
5 関連項目
6 小倉百人一首関連作品
6.1 音楽
6.2 小説
6.3 漫画
6.4 落語
6.5 ゲーム
7 その他の百人一首
8 外部リンク
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小倉百人一首の原型は鎌倉時代の歌人藤原定家が、上代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものであり、摂関家藤原北家道兼流・宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の京都嵯峨野の別荘、小倉山荘の襖色紙に載せるために依頼を受けたのがそのきっかけと言われている。男性79人(僧侶15人)、女性21人の歌が入っている。成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」など「嵯峨山荘色紙和歌」と呼称された。
いずれも古今集 、新古今集などの勅撰和歌集から選ばれている。歌道の入門書として読み継がれた。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まった。より人々が楽しめる遊戯として普及した。
関連書に、やはり藤原定家の撰に成る『百人秀歌』があり、百人秀歌と百人一首との主な相違点は「後鳥羽院・順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の3名が入っている」「源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌である」2点である。現在、この百人秀歌は百人一首の原撰本(プロトタイプ)と考えられている。
百人一首の歌人達
万葉集の歌人
まだしっかり身分の差がないためか天皇、貴族、武士、農民などあらゆる階層の人の歌が収められている。自分の心を偽らずに詠むところが特徴。有名な歌人は、大伴家持、山部赤人、柿本人麻呂など。
六歌仙の時代
万葉集とは違い、比喩や縁語、掛詞などの技巧をこらした繊細で、優美な歌が多く作られた。選者の紀貫之が六歌仙と呼んだ、在原業平や小野小町などが代表的な歌人である。
女流歌人の全盛
平安時代の中頃、宮廷中心の貴族文化は全盛を迎える。文学の世界では、女性の活躍が目ざましく清少納言が『枕草子』、紫式部が『源氏物語』を書いた。二人のほか百人一首には、和泉式部、大弐三位、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔といった宮廷の才女の歌が載っている。
隠者・武士の登場
貴族中心の平安時代から、武士が支配する鎌倉時代へうつる不安な世の中で、仏教を心の支えにする人が増えた。百人一首もこの時代を反映し、西行や寂連などの隠者や源実朝などの武士の歌も登場する。藤原定家自身も撰者となった『新古今和歌集』の歌が中心で、色彩豊かな絵画的な歌が多く、微妙な感情を象徴的に表現している。