白洲 次郎(しらす じろう、明治35年(1902年)2月17日 - 昭和60年(1985年)11月28日)は、兵庫県芦屋市出身の日本の実業家。終戦直後GHQ支配下の日本で吉田茂の側近として活躍し、貿易庁(通産省)長官等をつとめる。独立復興後は、東北電力会長等を歴任した。夫人は、作家・随筆家の白洲正子。
目次
1 プロフィール
1.1 生い立ち
1.2 イギリス留学
1.3 帰国
1.4 「ヨハンセン・グループ」
1.5 終戦連絡中央事務局
1.6 憲法改正
1.7 貿易庁初代長官
1.8 実業界へ復帰
1.9 ゴルフ
1.10 親友との再会
1.11 死去
2 オイリー・ボーイ
2.1 主な車歴
2.2 Winter Vacation 1925-1926(ヨーロッパ大陸12日間の旅)
3 エピソード
3.1 田中角栄に関連するエピソード
4 名言集
5 白洲を取り上げた作品
5.1 宝塚歌劇
5.2 その他の作品
6 家系
6.1 白洲家
6.2 子孫
7 次郎に愛されたブランド
8 次郎が愛した食事処
9 脚注
10 関連項目
11 参考文献
12 外部リンク
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明治35年(1902年)2月17日、兵庫縣武庫郡精道村(現・兵庫県芦屋市)に白洲文平・芳子夫妻の次男として生まれる。後に兵庫縣川邉郡伊丹町[1](現・兵庫県伊丹市)に建築道楽の父が建てた邸へ転居。
大正8年(1919年)、旧制第一神戸中学校(現、兵庫県立神戸高等学校)を卒業。神戸一中時代は、サッカー部・野球部に所属し、手のつけられない乱暴者として知られ、当時すでにペイジ・グレンブルックなどの高級外国車を乗り回し、後のカーマニア・「オイリー・ボーイ」の片鱗を見せていた。同級生には、後に作家で文化庁長官となった今日出海、中国文学者で文化功労者となった吉川幸次郎がいる。
神戸一中を卒業し、ケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学し、西洋中世史、人類学などを学ぶ。自動車に耽溺し、ブガッティやベントレーを乗り回す。7世ストラッフォード伯爵ロバート・セシル・ビング(愛称:ロビン)と終生の友となる。ロビン・ビングとは、ベントレーを駆ってジブラルタルまでのヨーロッパ大陸旅行を実行している。
大正14年(1925年)ケンブリッジ大学を卒業。
昭和3年(1928年)、神戸市神戸區(現・中央区)で父の経営していた白洲商店が昭和金融恐慌の煽りを受け倒産したため、帰国を余儀なくされる。