白河藩
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白河藩(しらかわはん)は、陸奥国(後の磐城国白河郡白河(現福島県白河市)周辺を領有した。藩庁は白河城。支藩として、一時期存在した白河新田藩がある。
目次

1 藩史

2 歴代藩主

2.1 丹羽(にわ)家

2.2 松平(まつだいら)〔榊原(さかきばら)〕家

2.3 本多(ほんだ)家

2.4 松平(まつだいら)〔奥平(おくだいら)〕家

2.5 松平(まつだいら)〔越前(えちぜん)〕家

2.6 松平(まつだいら)〔久松(ひさまつ)〕家

2.7 阿部(あべ)家

2.8 天領


3 支藩(白河新田藩)

3.1 歴代藩主


4 関連項目

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藩史

白河の地は古代においては白河の関という関所が設けられ、奥羽地方の出入り口として要衝の地となっていた。従って白河藩の締める地位は奥羽地方の外様大名の抑えであり、初代の丹羽氏を除いては有力な親藩譜代大名が頻繁に入れ替わった。

戦国時代後期から会津若松城主の領地だった。蒲生氏郷上杉景勝蒲生秀行忠郷の支配下にあった。

江戸時代初頭の寛永4年(1627年)、棚倉藩(福島県東白川郡棚倉町)より丹羽長重が10万石余で入り、白河藩が成立する。長重は白河城とその城下町を建設した。寛永20年(1643年)第2代藩主・光重二本松藩に転封となった。

同年、上野国館林藩より松平(榊原)忠次が14万石で入封した。慶安2年(1649年)には播磨国姫路藩に転封となる。

代わって越後国村上藩より本多忠義が12万石で入封する。新田開発に力を注ぎ実高1万5千石、慶安3年?4年(1650年 - 1651年)検地を行い更に実高3万7千石を加えた。第2代藩主の忠平天和元年(1681年下野国宇都宮藩に転封した。

代わって同地より松平(奥平)忠弘が15万石で入封する。元禄5年(1692年)、家臣の対立によるお家騒動のため出羽国山形藩に転封となる。

同地より越前松平家松平直矩が15万石にて入封。苦しい藩財政の中、家臣の禄高を減じるなど財政改革を断行したが反対派により中断を余儀なくされた。享保5年(1720年)には大規模な農民一揆が起こった。第3代藩主・義知寛保元年(1741年)姫路藩に転封となった。

同年、代わって越後国高田藩より松平(久松)定賢が11万石で入る。この松平家は徳川家康の異父弟久松定勝の三男の系統である。久松松平家の中では老中首座まで進み、寛政の改革を行なった第3代藩主・定信が有名である。文政6年(1823年)松平家は4代・定永のとき旧領である伊勢国桑名藩に戻る。

後を阿部正権武蔵国忍藩より10万石で入封する。以後阿部氏が8代44年在封する。第7代藩主・正外幕末に老中となり、攘夷派の反対を押し切って兵庫港を開港した。これにより元治元年(1864年)、老中を罷免された。このため4万石を減封された。更に、慶応2年(1866年)、第8代藩主の正静は棚倉藩に転封。白河藩領は二本松藩の預かり地となったため、戊辰戦争時は藩主不在であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki