産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)とは、18世紀から19世紀にかけて起こった工場制機械工業の導入による産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことである。市民革命とともに近代の幕開けを告げる出来事とされるが、近年では産業革命に代わり「工業化」という見方をする事が多い。ただしイギリスの事例については、従来の社会的変化に加え、最初の工業化であることと世界史的意義を踏まえ、現在でも産業革命という用語が用いられている。各国の事例については工業化を参照。
目次
1 概要
2 イギリス産業革命の前提条件
2.1 毛織物工業と資本
2.2 労働力
2.3 海外植民地
2.4 需要と市場保護
3 産業革命の進展
3.1 織機・紡績機の改良
3.2 製鉄技術の改良
3.3 動力源の開発
3.4 移動手段の発達
3.5 関連事項
4 社会への影響
4.1 社会政治
4.2 都市化
4.3 経済構造
5 脚注
6 関連項目
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「産業革命」という言葉が初めて使われたのは1837年、ルイ・オーギュスト・ブランキによってである。その後、アーノルド・トインビーが著作の中で使用したことから学術用語として定着した。もともとは1760年代から1830年代にかけてイギリスで起こった「最初の」産業革命を指した言葉だが、いわゆる発展段階論において市民革命と並んで、近代とそれ以前を分かつ分水嶺とされたため、イギリスを皮切りにベルギー、フランス、アメリカ、ドイツ、日本といった風に順次各国でも産業革命が起こったとされた。
イギリスで産業革命が始まった要因として、原料供給地および市場としての植民地の存在、清教徒革命・名誉革命による社会・経済的な環境整備、蓄積された資本ないし資金調達が容易な環境、および農業革命によってもたらされた労働力、などが挙げられる。これらの条件の多くはフランスでもそれほど変わることはなかったが、唯一決定的に違ったのが、植民地の有無である。イギリス産業革命は1760年代に始まるとされるが、七年戦争が終結し、アメリカ、インドにおけるイギリスのフランスに対する優位が決定づけられたのは1763年のパリ条約によってである。植民地自体は以前から存在していたので、1763年の時点でイギリスが市場・原料供給地を得た、というよりも、フランスが産業革命の先陣を切るために必要な市場・原料供給地を失ったというべきであろう。いずれにせよ、イギリスはライバルであるフランスに先んじて産業革命を開始し、フランスに限らず一体化しつつあった地球上の全ての国々に対して有利な位置を占めることとなった。言い換えるならば、七年戦争の勝利によって、イギリスは近代世界システムにおけるヘゲモニー国家の地位を決定づけたのである[1]。
イギリスの産業革命は1760年代から1830年代までという比較的長い期間に渡って漸進的に進行した。またイギリスに限らず西ヨーロッパ地域では「産業革命」に先行してプロト工業化と呼ばれる技術革新が存在した。そのため、そもそも「産業革命」のような長期的かつ緩慢で、唯一でもない進歩が「革命」と呼ぶに値するか、という議論もある。初期の軽工業中心のころを「第一次産業革命」、電気・石油による重化学工業への移行後を「第二次産業革命」、原子力エネルギーを利用する現代を「第三次産業革命」と呼ぶ立場があるが、このような技術形態に重きを置く産業革命の理解からは、「産業革命不在説」に対する有力な反論は出にくい。そのため、現在では産業の変化とそれに伴う社会の変化については、「革命」というほど急激な変化ではないという観点から、「工業化」という言葉で表されることが多い。ただし、イギリスの事例については依然として「産業革命」という言葉も使われている。イギリスについて目を向ければ、労働者階級の成立、中流階級の成長、および地主貴族階級の成熟による三階級構造の確立や消費社会の定着など、1760年代から1830年代という「産業革命期」を挟んで大きな社会的変化を見出すことができる。また世界史に目を向ければ、最初の工業化であるイギリス産業革命を期に、奴隷貿易を含む貿易の拡大や、現在にも繋がる国際分業体制の確立といった地球規模での大変化が始まったとも言える。この世界規模での影響(負の側面も含めて)は、先行するプロト工業化などではなかったものである。そのため、産業革命は単なる技術上の変化としてではなく、また一国単位の出来事としてでもなく、より広い見地から理解される必要がある[2]。