琉球独立運動
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琉球独立運動(りゅうきゅうどくりつうんどう)は、1945年太平洋戦争終結後に、沖縄県及び奄美諸島の帰属が不明になったとの主張を受け、新たな帰属先を論議するなかで、アメリカ合衆国への編入や日本への復帰ではなく、琉球の国家としての独立を求めて始められた運動。
沖縄独立運動(おきなわどくりつうんどう)ともいう。
目次

1 背景

2 沿革

3 現状

4 将来への展望

5 脚注

6 関連項目

7 参考文献

8 外部リンク

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背景

戦後、日本を占領したアメリカは、旧琉球王国領である沖縄県及び鹿児島県奄美諸島を日本より割譲、信託統治領として軍政下においた。これはかつて琉球王国があった1854年に、那覇を訪れたペリー提督の艦隊により琉米修好条約を締結した歴史を持つアメリカ側が、日本と琉球は本来異なる国家、民族であるという認識を持っていたことが主な理由だった。また、この割譲はアメリカにとって「帝国主義の圧政下にあった少数民族の解放」という、自由民主思想のプロパガンダ的意味もあった。ファシズムに勝利したという二次大戦直後の国内の自由と民主主義への期待と高揚から、統治当初は、アメリカ主導での将来的な琉球国独立の構想が検討されてもいた。 占領国アメリカがこの認識を持って日本領を分割したことは、日本側にも大きな影響を与えることとなり、自らを琉球民族と定義する人々のナショナリズムを刺激し、琉球独立運動の動機となった。


沿革

そうした時代背景から誕生した琉球独立運動では、日琉同祖論に倣い琉球民族日本民族の傍系であるとは認めつつも、琉球民族は歴史的に独自の発展を遂げて独立した民族になったと主張し、明治時代より強引に同化政策を施されはしたが、日本の敗戦により再び琉球人になり、アメリカ信託統治を経て独立国家になるだろう、と予測した。本土では、戦後沖縄人連盟などが結成され、一部の連盟加盟者から独立への主張もなされていた。また、戦後日本共産党( ⇒沖縄民族の独立を祝うメッセージ)や日本社会党は琉球民族が大日本帝国に抑圧されていたと規定し、表面上、沖縄独立支持を表明した。

一方、米軍統治下の旧琉球王国領では、米影響下からの独立を企図して、非合法組織ではあるが、奄美共産党(奄美大島社会民主党)、次いで沖縄共産党(沖縄人民党)が結成された。奄美共産党の初期目標には「奄美人民共和国」の建国が掲げられていた。 しかし、住民の多くは日本への復帰を望んでいたため、その後、これらの政党は独立から復帰へと活動目標が変更された。奄美共産党は、日本復帰運動の中心的役割を果たしている。 沖縄・奄美の両共産党は、それぞれの地域の日本復帰後に日本共産党に合流した。

戦後初期の独立論は、米軍を「解放軍」と捉える風潮が広がったことと密接に絡んでいた。ところが1950年代以降になると、冷戦を背景にアメリカ国内で沖縄の戦略上の価値が認識され、アメリカの沖縄統治の性格は軍事拠点の維持優先へと偏重していった。米軍政下の厳しい言論統制や度重なる強圧的な軍用地接収、沖縄人への米兵の加害行為の頻発により「米軍=解放軍」の考えは幻想だったという認識が県民の間に広まり、一転して「平和憲法下の日本への復帰」への期待が高まる。こうした流れの中で、独立論は本土復帰運動の中に飲み込まれていった。

いったん沈静化した独立論は、1972年沖縄返還が近づくにつれ、「反復帰論」として再び盛り上がりをみせる。背景には、復帰交渉において日本政府が在沖米軍基地の現状について米軍の要求をほぼ丸飲みし続け、沖縄県民が期待した「本土並み復帰」が果たされないことが明確になったことから、日本政府への不信感が高まったことがある。さらに1979年明治政府琉球処分から100年目にあたることもあり、「琉球文化の独自性を見直そう」といった集会が沖縄各地で活発に開かれた。

1977年には、当時の平良幸市知事が年頭記者会見で「沖縄の文化に対する認識を新たにしよう」と、反復帰論を意識した提唱を行った。

しかし、70年代の独立論は政治運動化せず、文化復興運動として落ち着いた。


現状

独立を指向する言論の中には、1972年の復帰時にも米軍基地の多くが返還されぬまま残されため、日本政府に対して「本土並み」を期待した沖縄県民の落胆は大きいとし、米軍基地の返還交渉を自由に行なうための主権獲得が、独立のメリットとする主張もある。1995年に、沖縄県で米軍基地に対する反対運動が起こったときなどに、琉球独立論が取り上げられた。

2007年に、琉球大学法文学部准教授の林泉忠英国籍在日香港人)が、沖縄県民意識調査を実施(電話帳から無作為抽出して電話をかける方法で、18歳以上の沖縄県民を対象に実施、1201人から有効回答を得た。2005年度より毎年実施)。結果、沖縄県民の内、自らが日本人ではなく沖縄人であると答えた人は41.6%(2005年度40.6%)、沖縄が独立すべきだと答えた人は20.6%(2005年度24.9%)であったとされる(琉球新報2007年11月29日報道)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen