理容師(りようし、英Barber)とは、主に髪を切る等の理容を行う仕事を司る職種。昨今では髪を切る以外にエステ、ネイル、メイク、ヘアカラーなど業務範囲は広がりつつある。
日本における国家資格については理美容師を参照。
目次
1 歴史
1.1 先史・古代
1.2 中世以降
2 法律
3 その他
4 関連項目
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理容は先史時代からあり、青銅器時代の紀元前3500年頃の遺物からカミソリが発見されている。また、聖書エゼキエル書にも理容のことが書かれている。
シェイビング(剃髪、髭・髪に関わらず)はイングランドでは歴史的に法律で義務づけられていた。
マケドニア人(アレクサンダー大王時)に征服される前のギリシャでは、主人の調髪や、頭髪、ひげ、指の爪などのスタイルを整えていたと云われる。
整髪はギリシャ植民地だったシチリア島から紀元前296年にローマ帝国に渡り、間もなく人気を博した。
当時のローマ自由市民は髭を剃らなければいけなかった。一方で奴隷は髭を伸ばすことを決められていた。
朝に公衆浴場と共に理髪師を訪れて身を正すことは習慣となり、又青年が生まれて初めてひげを剃ること (tonsura) は青年と見られる通過儀礼の一部となった。
ローマ人理髪師の中には裕福になり、栄えた者も居た。彼らは店先の通りにスツールを並べ、クアドラン(当時のコイン、通貨単位でクオーター)の料金で髭を剃っていた。
カミソリによる剃髪が嫌いな客には脱毛を行う者もあった。
紀元前54年、ガイウス・ユリウス・カエサルがブリテン島に着いたときには、ブリテン人は唇の上部以外の顔の髭を剃っていた。
ノルマンディー公ウィリアム征服王のイングランド征服時には、ハロルド2世と家来は顎髭を剃っていた。 顎髭がファッションに戻ったのはギリシャ好きのハドリアヌス帝の時代になってからであった。
中世の欧米諸国では理容師は外科的処置を行う外科医、歯医者でもあった。
その頃医学は内科学主流とされていたため、怪我の処置や四肢の切断等に至るまで、理容師がこれを行っていた。「瀉血(血抜き)」、吸角法、ヒル療法、浣腸、抜歯を行った。その為、彼らは「barber surgeon(理髪・外科医)」と呼ばれ、1094年に最初の組合を作った。
理容師は1462年に、エドワード4世 (イングランド王)により、ギルド(職業組合)として法定化され、外科医はその30年後にギルドが出来たが、1540年にヘンリー8世により"The United Barber Surgeons Company"(理髪・外科医組合)として成された。 エリザベス1世時には2週間以上髭を伸ばした者から税金を取った。理由は生活が活発でないことの証明だからというものだった。ピョートル大帝もロシアに同様の法律を取り入れ、アイルランドではイギリス人と見分ける為に、口から上の毛を全部剃らせていた(この法律は200年続いた)。
ジョージ1世時の1745年、外科医は理容と分けることが法定された。
ロンドンの外科医の組合はジョージ3世時の1800年にイングランド王立外科医師会になった。18世紀、オスマン帝国の理容師のエプロン
理容師の定義や資格、理容所の設置については、理容師法により定められている。