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王夫之(おう・ふうし、ピンイン:Wang F?zh?、1619年 - 1692年)は、明末清初の学者。
字は而農、号は薑斎。湖南省衡陽の出身で湖南の西にある石船山に隠居したため、船山先生と称せられた。彼は湖南でも辺鄙なところに生まれ、武昌・南昌・肇慶地方を短期に旅行したほかは、一度も他の都会に行ったことはなかった。当時の名士では学者の劉献廷のほか知った人物もいない。講学することもせず、門生もいなかった。張献忠の反乱が湖南を蹂躙したとき、彼は賊に従うことを拒んだため、ほとんど生命を失う危険に直面した。清朝の軍隊が湖南にやってくると、衡山において蜂起して抵抗し、失敗ののち桂林に逃れた。明の遺臣・瞿式耜が彼を非常に尊敬し、特に永暦帝に推薦したため行人司行人の位を授けられた。瞿式耜が桂林で殉死し、明朝復興が不可能であることを悟ってからは故郷から外へ出ようとしなかった。清朝の辮髪令に反抗し、苗族や?族などの少数民族の洞窟を転々とし、苦難をつぶさに体験した。あちこちで破れ紙や使い古しの帳簿を原稿用紙として著した書物はきわめて多い。二百年間ほとんど人に知られることなく、同治年間に曾国藩の弟・曾国?の手によって『船山遺書』が刊行された。これは刻本288巻に及ぶものであるが、王船山が書いた半ばにも達しないという。
『船山遺書』の中でも一般にもっとも歓迎されたのは『読通鑑論』三十巻と『宋論』十五巻という。これらは王船山の第一等の著作ではないが、独特の史眼によって俗流をぬきんでており主義あり組織ある書物である、と梁啓超に評されている。「攘夷排満」はこれらの主義の一つであり、その民族主義が清朝末期の青年に与えた刺激は大きい。
王陽明の学問に対する攻撃は厳しく、「自分の考えにちかい聖人の言葉を好き勝手に切り抜いて、さらに禅宗を持ちこんで孔孟の教えをゆがめた」と批判する。儒者でありながら仏教学の「唯識」について知識を持ち、そのことは遺書目録に『三蔵法師八識規矩論賛』『相宗絡索』があることでわかる。明朝の学問に弊害を認めて宋学に復古しようとし、その実証的な研究態度から、張載の『正蒙』を特に推奨したという。王船山の著作『張子正蒙注』『老子衍』『荘子解』は、新学派の哲学を樹立しようとしたあとがある。彼の「天理は、人欲のうちにある」(『読四書大全説』)というテーゼから、戴震の学説が発達した。郷里の哲学者でもっとも影響を受けたのは譚嗣同であり、「五百年来の学者にして、真に天人のことに通じていた者は、王船山のみである」(『仁学』巻上)と言っている。 カテゴリ: 中国の儒学者 | 清朝の人物 | 1619年生 | 1692年没
更新日時:2007年12月1日(土)14:37
取得日時:2008/09/22 13:01