王楽泉
出生1944年12月
中国山東省寿光県
職業政治家
各種表記
簡体字王?泉
繁体字王樂泉
ピン音Wang Lequan
和名表記おう・らくせん
発音転記ワン・ルーチュエン
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王楽泉(おう・らくせん)は、中華人民共和国の政治家。新疆ウイグル自治区中国共産党委員会書記(1995年 - )、中国共産党中央政治局委員(2002年 - )。
1944年に山東省寿光県(現在の寿光市)で生まれる。1966年に共産党に入党。
文化大革命中は、寿光県の候鎮公社副社長、城関公社の党委員会副主任を務め、1975年4月より寿光県党委員会副書記、県革命委員会副主任を務めた。その後、寿光県党委員会書記、県革命委員会主任、共産主義青年団山東省委員会副書記を歴任した。
1983年からは、党高級幹部の養成機関である中国共産党中央党校にて教育を受け、山東省聊城地区委員会副書記、書記を歴任。1989年2月からは山東省の副省長を務めた。
その後、故郷山東省から新疆ウイグル自治区に転出し、1991年4月に、自治区党委員会常務委員、自治区人民政府常務副主席、1992年12月に自治区党委員会副書記に就任した。1995年12月には、前任の宋漢良の後継として自治区党委員会書記、新疆生産建設兵団第一政治委員に就任し、新疆の政治トップとなった。
王が新疆に転任した1990年代は、中国内外でウイグル人の独立運動が活発化した時期であり、2001年9月11日の米国での同時多発テロ事件以降は、アフガニスタンや中央アジア諸国に隣接する新疆でも、アルカーイダの影響を受けたテロ組織が浸透することが懸念された。王は、「厳打」と呼ばれる治安強化キャンペーンを展開し、独立運動に対する厳しい取締りを実施した。
2002年11月の中国共産党十六回全国代表大会の一中全会では、新疆における治安強化政策が江沢民から評価され、辺境省の幹部としては異例の中央政治局委員に選出された。胡錦涛政権下の2007年10月の第十七回全国代表大会でも引き続き、政治局員に再任された。2006年には、3期目となる自治区党委員会書記に選出され、新疆統治の特殊性から、3選を禁止した党規定の例外が認められたものとして注目された。
外部リンク
⇒王楽泉同志簡歴(人民網)(中国語)
先代:
宋漢良新疆ウイグル自治区党委員会書記
1995年-次代:
-
カテゴリ: 中華人民共和国の政治家 | 1944年生
更新日時:2008年2月22日(金)14:48
取得日時:2008/08/30 13:27