王党派(おうとうは)は、君主制の維持を主張する政治党派のこと。市民革命においては共和派と対立し、絶対王政と貴族制の維持を主張する。立憲君主制を目指す立憲君主派も広義の王党派に含まれることもある。国王が王権を強化する必須の勢力であり、また王政を維持し、正当化する理由にもなっている。ただし貴族が必ずしも王党派と言うわけではなく、ブルジョワなどの市民や、農民の支持による王党派もある。現在でもフランス、イタリア、ドイツ、オーストリアなどで王政(帝政)復古を目指す王党派が活動している。
目次
1 フランスの王党派
1.1 フランス革命期における王党派
1.2 革命後の王党派
2 スウェーデンの王党派
2.1 フランス革命における王党派
2.2 フィンランドにおける王党派
3 アメリカの王党派
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フランス革命期においては、プロヴァンス伯(ルイ18世)とアルトワ伯(シャルル10世)ら王族、あるいは絶対王政期のアンシャン・レジームの貴族、聖職者(僧侶)を言う。彼らは、フランス王国などの王政国家を維持する勢力であった。
近い考えをもつ集団として、王政は認めるものの、これを議会のコントロール下におこうとする立憲君主主義者(いわゆるフイヤン派)が存在し、区別される。しかしジロンド派やジャコバン派などの共和派が絶対的な指導権を握った革命期においては、両者は共に攻撃の対象とされ、ほとんど区別されずに王党派という枠にくくられた。特に革命期のパリでは、王党派であることが発覚しただけでテロの対象になることも珍しくなかった。
一方、革命期でも、地方では革命政権の中心地・パリほど国王憎しの感情は高まりをみせず、農民の間で急進的な国王不要論が急増することはなかった。ヴァンデの反乱の様に、徴兵制反対や信仰の自由を求めた農民反乱に、地方貴族が合流して王党派の反乱としての性格を見せるケースもあり、フランス全土の規模で見れば、王党派は致命的に勢力を失ったわけではないともいえる。
フランス革命以後、主にナポレオン・ボナパルト失脚後に生まれたブルボン家支持者をレジティミストと言う。またフランス7月革命で成立したルイ・フィリップ統治のオルレアン朝(ブルボン家の傍流)支持者をオルレアニストと言う。いずれも広義には王党派の範疇に入ると言えるが、ルイ=ナポレオン(後のフランス皇帝ナポレオン3世)支持者のボナパルティストと激しく対立した。
1772年、スウェーデン王グスタフ3世は、王党派の支持の元、近衛兵を用いてクーデターを起こした。グスタフ3世は王権の強化に成功し、絶対王政への道を開いた。グスタフ3世支持派は、主にブルジョワや農民から成り、貴族は少数派であった。彼は啓蒙主義的思想を持ち、貴族からの徴税もじさなかったため、一部の貴族から恨みを買う事となった。
1809年、グスタフ4世アドルフがクーデターによって廃位された後、ホルシュタイン=ゴットルプ王家の断絶が決定的になると、一部の王党派は、グスタフ4世の元王太子グスタフを王位に就けようと画策したが結局失敗し、ベルナドッテ家がスウェーデンの新王朝として君臨する事となった。
1789年にフランスで革命が起きると、グスタフ3世はこれに反発し、フランス王室に深い関わりを持つ貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルセンを通じて反革命運動を起こしている。1790年にロシア帝国との戦争を終結させると、グスタフ3世はさらにこれを推し進め、フランス亡命貴族(エミグレ)と連携し、反革命十字軍の設立を目指した。