玉澤徳一郎
不朽の名作から
ケータイ小説(笑)まで

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衆議院議員 玉澤 徳一郎
生年月日1937年12月16日(70歳)
出生地岩手県下閉伊郡田老町
(現・宮古市)
出身校早稲田大学大学院政治研究科修了
学位・資格学士
前職富士大学助教授
所属委員会
内閣役職衆・決算行政監視委員会委員
世襲世襲ではない
選出選挙区比例・東北ブロック
岩手4区
当選回数衆9回
所属党派(自由民主党→)
無所属
党役職-
会館部屋番号衆・第一議員会館317号室
[]

玉澤 徳一郎(たまざわ とくいちろう、1937年12月16日 - )は、日本政治家衆議院議員(9期)。

防衛庁長官第56代)、農林水産大臣第28代第29代)を歴任。
目次

1 概要

2 来歴

3 備考

4 関連項目

5 脚注

//


概要

岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部(夜間学部)に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治研究科修了。 学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。

奥州大学講師富士大学助教授海部俊樹の秘書を経て、1976年第34回衆議院議員総選挙にて初当選し、自民党清和研に属し、国防族、農林族の重鎮と目されていた。2007年、同党を離党し無所属となった。無所属となったために2007年自由民主党総裁選挙に参加できなかった。離党後も自民党の派閥である町村派に所属している。

愛称は、玉ちゃん。選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。

社団法人日米平和・文化交流協会の理事を務める。日韓議員連盟所属。


来歴

1969年12月27日第32回衆議院議員総選挙に初出馬するも落選。

1972年12月10日第33回衆議院議員総選挙に再度出馬するも落選。

1976年12月5日、 第34回衆議院議員総選挙に三度目の出馬で初当選。

1978年衆議院議事進行係に就任。

1981年鈴木善幸改造内閣において農林水産政務次官に就任。これ以降、農林畑を歩み自民党の農林部会長を三期務める。

1994年6月30日村山富市内閣において防衛庁長官に就任。「第三次世界大戦に備えるべく、軍備増強は必要不可欠」と主張した。

1999年10月5日小渕恵三第2次改造内閣において農林水産大臣に就任。

2000年4月5日第1次森喜朗内閣において小渕恵三第2次改造内閣に引き続き農林水産大臣に再任。

2000年6月25日第42回衆議院議員総選挙において落選すれば引退と表明して自由党達増拓也に敗れ落選(1区現象)。しかしながら、のちに引退宣言を撤回。

2001年7月29日第19回参議院議員通常選挙に出馬するも自由党平野達男に敗れて落選(平野達男は、このとき初当選)。

2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙では小沢一郎の地盤に変えて出馬し大差をつけられて小選挙区では落選するものの比例区(名簿順位5位)で当選。3年ぶりに衆議院議員に返り咲いた。

2004年2月16日、 ペルシャ湾に向け横須賀基地を出航する海上自衛隊所属の護衛艦「むらさめ」の出陣式に来賓として出席し、「皇国の興廃この一戦にあり」と挨拶した(翌日付毎日新聞神奈川県版)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki