片岡鶴太郎
本名:荻野繁雄
事務所:太田プロダクション
国籍: 日本
出身地:東京都荒川区
生年月日:1954年12月21日(53歳)
活動時期:1980年 -
片岡 鶴太郎(かたおか つるたろう、1954年12月21日 - )は、東京都荒川区西日暮里出身のプロボクサー、タレント、コメディアン、俳優、歌手、画家。本名は荻野 繁雄(おぎの しげお)。愛称は「鶴ちゃん」。太田プロダクション所属。東京都立竹台高等学校卒業。絵を描くときのみ左利き。
目次
1 概要
1.1 生い立ち
1.2 デビュー
1.3 全国区の人気
1.4 多方面での活動
2 芸術家としての片岡鶴太郎
3 松村邦洋との出会い
4 ものまねレパートリー
5 出演
5.1 テレビドラマ
5.2 映画
5.3 バラエティ
5.4 情報番組
5.5 その他の番組
5.6 ラジオ
6 ディスコグラフィー
6.1 シングル
6.2 アルバム
7 関連項目
8 外部リンク
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10才の時、動物の物真似でフジテレビの素人参加番組にテレビ出演。その時のADが後に『笑っていいとも!』のプロデューサーとなる横澤彪だった。早くから芸人を志し高校へ進学するつもりだったが、家庭の経済事情で授業料の安い公立高校しか行けないと言われた。中学3年生の時、成績が下から2、3番だったが、夏休みの1ヶ月間で小学校6年生の教科書からやり直し上位10番に入る。無事に東京都立竹台高等学校に入学し演劇部に所属、3年次には部長を務めた。
ゲスト出演した文化放送『くにまるワイド ごぜんさま〜』でのインタビューによると、高校卒業後、俳優を目指し、清川虹子の自宅へ何のあてもないままいきなり訪問し、弟子入りを志願したが、清川には会えず、清川の付き人から「男の付き人は採らないから」と断られる。弟子にしてもらう為にかなり粘ったが、最後には「警察を呼ぶ」と言われ断念。粘れば何とか弟子入りは許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまう。その後、生活の為しばらく土木作業員等の仕事を経験した後、声帯模写の片岡鶴八に弟子入りする。声帯模写で東宝名人会や浅草松竹演芸場などの舞台に出演するようになる。
師匠である片岡鶴八は、「声帯は人によって違う。だから、君に僕の芸はそのまま教えられない。」と、芸を教えてもらえなかったという。しかし、そば屋に連れて行ってもらった際、そばの食べ方の手ほどきを受けたり、「芸人として売れるまで、そば屋ではもりそばしか食べてはいけない」と、芸人としての「粋」を教えてもらったという。その師匠は、もりそばを食べる鶴太郎の目の前で江戸前の天丼を食べていたが、これは「売れる芸人に早くなれよ」という師匠なりの激励であった。鶴太郎は、師匠の懐の深さを知り、「いつかは師匠と天丼を食べたい」と決意するが、不幸にも売れ出した頃に師匠は亡くなってしまう。
片岡鶴太郎の芸名でトランポリンの地方興行を行う。しかし、このままで終わってしまうと脱退。地方の温泉旅館で司会やものまねの仕事につく。旅館の老人には小森のおばちゃまのものまねはウケなかったが、鶴太郎の才能を理解してくれた座長の娘さんと上京、結婚した。
その後、漫才ブームの仕掛け人となった横澤彪と再会。片岡鶴太郎の芸名でテレビに進出する。お笑いタレントとして『オレたちひょうきん族』のコーナーで近藤真彦のものまねにより一躍脚光を浴び、その後も九官鳥の「キューちゃん」のマネや浦辺粂子、たこ八郎等のものまねもしていた。当時は贅肉が多い体型で、熱いおでんを無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出す、被虐的なキャラクターだった(ちなみにこの芸は現在事務所の後輩であるダチョウ倶楽部の持ちネタとして有名である)。