熱海温泉(あたみおんせん)は、静岡県熱海市(旧国伊豆国)にある温泉である。日本の三大温泉の一つ。日本の三大温泉場の一つとも言われている。日本では温泉地として単に熱海(あたみ)と通称されることが多い。
目次
1 アクセス
2 泉質
3 温泉街
3.1 共同湯
3.2 熱海七湯
4 歴史
5 歓楽街の代名詞
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
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アクセス
鉄道 : JR東海道新幹線またはJR東海道本線熱海駅下車すぐ。
海岸沿いの中心部へは、バスで約5分。また、JR伊東線来宮駅からも、温泉地へ行くことが出来る。
泉質
ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)
毎分湧出量18,000L
無色透明の源泉
総源泉数500本以上
海岸沿いは塩化物泉の源泉が多く、山沿いは硫酸塩泉の源泉が多い。古くは大半の源泉が硫酸塩泉であったが、ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、海沿いの源泉は、地下の線脈に海水の混入量が増えたため泉質が変わった。
港にすぐ山が迫る地形の中、海岸線に沿って旅館ホテルが立ち並ぶ。尾崎紅葉の「金色夜叉」の貫一お宮の像がある。
温泉街は駅近辺から海岸沿いまで広がっている。
共同浴場は下記の8軒存在する。多くは鄙びた共同浴場であり、熱海の歓楽的雰囲気はない。このほか、外来入浴が可能な公衆浴場(ホテル旅館と兼業の物を含む)が多数存在する。
駅前温泉浴場
上宿新宿共同浴場
清水町共同浴場
渚共同浴場
水口共同浴場
水口第2共同浴場
山田湯
竹の沢共同浴場
温泉街には、熱海七湯と呼ばれる、古くからの源泉が存在する。源泉は整備されているが、源泉の利用はホテル旅館等で使用されており、源泉にちなんだ共同浴場などはない(旅館ホテルの外来入浴のみ)。 熱海七湯は以下の7つの源泉である。
大湯
野中の湯
佐治郎の湯
風呂の湯
清左右衛門の湯
河原湯
小沢の湯
大湯は現在は人工の間欠泉として整備されている。大湯間欠泉は古くは自噴していたが、明治時代中期に自噴がとまった。その後、関東大震災の際に再び自噴が始まったが、昭和初期に再び自噴がとまった。その後、1962年(昭和37年)に人工の間欠泉として整備され、現在に至っている。大湯間欠泉の傍には、日本最初の電話ボックスが再現されている。(現在の熱海ニューフジヤホテルアネックス館脇)
古くは徳川家康が訪れたり、献上湯を行った。明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。代表的なものは、尾崎紅葉の「金色夜叉」、永井荷風の「冬の日」、林芙美子の「うず潮」などである。
昭和30年代は、新婚旅行のメッカで、白いドレスに白のスーツケースを持ったそれと分かるカップルで賑わった。高度経済成長期、団体旅行を誘致するようになり、その客目当てのストリップ劇場や風俗店が増え、イメージが低下して家族客の客離れが進んだ。バブル経済以降は団体客は減り、以前ほどの集客は望めず、休館している旅館が目立ち、それによって町が寂れた印象を与え、更に客離れが進むという悪循環にある。温泉ブームに乗って個人客は徐々に増えつつあるが、目の肥えた客を繋ぎ止めるためには旅館・ホテル側も相当の企業努力が求められる現状にある。
尚、2005年には一連の秋葉系ブームに便乗したのかメイド喫茶ならぬメイドホテルがオープンしたが、僅かな期間で営業を終了してしまった。
2008年以降はガソリン高騰、都心からの交通網の豊富さ、猛暑に伴う近場ビーチとして再び脚光を浴びている。
かつて熱海温泉が日本を代表する歓楽温泉として栄華を誇ったことから、歓楽街として発展した一部の温泉を「○○の熱海」と宣伝していたことがある。
これらの温泉街も熱海温泉と同様に、バブル経済の崩壊、レジャーの多様化などの事情により客離れが進み、現状の温泉街を評して「かつて『○○の熱海』と呼ばれた××温泉は……」との文脈で語られる例も見られるようになった。[1]
その一方で、山陰の熱海を名乗る皆生温泉のように、否定的、消極的な意味を伴わず、普通に宣伝文句として用いている例もある。
脚注^ 浅虫温泉(東北の熱海)の例 - 『河北新報』1994年8月11日