漢字文化圏(かんじぶんかけん)とは「文化圏」概念の一つ。漢字を使用しているか、過去に使用していた地域のことであり、漢文に由来する文化を共有している。
目次
1 概要
2 漢字文化圏の内包と外延
2.1 南北朝から宋代まで
2.2 明代以降
3 用語選定の要因
4 近現代における漢字の存廃について
5 相互主義
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
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漢字文化圏とは中国と中国皇帝からの冊封をうけた周辺諸民族のうち、漢文を媒体として、中国王朝の国家制度や政治思想をはじめとする文化、価値観を自ら移入し、発展させ、これを中国王朝とゆるやかに共有しながら政治的には自立を確保した地域上記の双方をあわせた地域を指す。現在の地域区分で言うと「東アジア」と重なる部分が大きく、現存国家の中では、中国、ベトナム、北朝鮮、韓国、日本などがここに含まれる。日本の歴史学者西嶋定生が提唱した「東アジア世界論(冊封体制論)」をきっかけとして定着し、歴史学における「文化圏」概念形成のモデルの一つとなった。
歴史学上の概念としての漢字文化圏の外延を考える場合、西嶋「冊封体制論」が想定する南北朝時代から唐代にかけての地域秩序が第一の参照例となる。西嶋は「東アジア世界」を定義する指標として、冊封のほか、漢字、儒教、仏教、律令制の四者を挙げており、これに該当する主な朝貢国には 新羅、渤海、日本(倭国)がある。このほか律令制の導入が確認できない高句麗、百済も加えてさしつかえないだろう。なお北宋以降は高麗が新羅に取って代わり、また新しく大越が加わる。
このほか、南詔及び大理については、その政治制度と文化の漢化度を漢籍資料だけから測ることは難しいが、南詔が唐の、大理が北宋の冊封を受けており、中国密教が流行していたこと、また移住した漢人が政治に関与していることは、新羅、百済など典型的な「東アジア世界」の朝貢国と並行的である[1]。また遼、金、西夏は、軍事的に北宋、南宋を圧迫し、漢文を排除して独自の文字を制定、使用した[2]点で狭義の定義からは外れるが、一方いずれの国も皇帝を称し廟号を贈り、独自の元号を建てるなど、何らかの形で中国王朝にならった国制を取り入れている。これらをいずれも「グレーゾーン」に含めることは可能であろう。
「冊封体制」が復活した明代以降になると、漢字文化圏に入る要件を満たす国家(ないし地域)は現在まで続く安定性をほぼ確立しており、李氏朝鮮、琉球、大越(後の越南)、そして日本がこれにあたる。なおこの時期には、日本が「冊封体制」から離れているほか、律令制が形骸化し、かわって科挙官僚制が発達するなど、西嶋の挙げた四つの要件はすでに必要十分ではなくなっていた。特徴的な文化要素として第一に挙げるべきは書記言語である。漢文の移入は漢字による自言語の文字化を促したため、日本のかな、朝鮮の口訣、吏読[3]、ベトナムのチュノムなど、漢字から派生した独自の文字や用法が発達し、それぞれの国家の固有性を保障する書記言語が確立した[4]。宗教面では土着化した仏教、道教などが、地域的な濃淡と混淆(シンクレティズム)を見せながら民衆に普及し、政治思想としての儒教とあわせて、圏内でゆるやかに共通する思惟の枠組みが定着するに至った。食事における箸の使用、喫茶の習慣、建築における瓦の使用など、生活文化の中にも漢字文化圏を起源とし、これを中心に分布する特徴が見られる。
「文化圏」概念の設定と命名に際しては、地名による場合と、文化の主要な規定要因となる宗教名または書記言語名を冠する場合とがある。漢字文化圏の場合、「東アジア文化/文明圏」「儒教文化圏」などの用語も並行的に使われているが、「東アジア」という地域名称には具体的な意味内包がなく抽象的すぎること[5]、中国、日本、朝鮮において「儒教」の受容のされ方にそれぞれ違いがあることから、「漢字」が全体を平等にカバーする中立的かつ具体的な文化要素として適切と判断され、もっとも普及したものと考えられる[6]。