源頼朝凡例
絹本着色伝源頼朝像
時代平安時代末期 - 鎌倉時代前期
生誕久安3年4月8日(1147年5月9日)
死没正治元年1月13日(1199年2月9日)
改名鬼武者、頼朝
別名三郎、佐殿、武衛、鎌倉殿、源二位
右大将軍、右幕下
神号白旗大明神
戒名武皇嘯厚大禅門
墓所神奈川県鎌倉市大盛山巨腹
官位従五位下右兵衛権佐、正四位下、従二位
正二位、権大納言、右近衛大将
征夷大将軍
幕府鎌倉幕府征夷大将軍
在任:建久3年 - 建久5年(1192年 - 1194年)
氏族清和源氏義朝流(河内源氏)
父母源義朝、藤原季範の娘(由良御前)
兄弟義平、朝長、頼朝、義門、希義、範頼
全成、義円、義経、坊門姫、女子
妻八重姫、北条政子、亀の前、大進局
子千鶴丸、大姫、頼家、乙姫、貞暁、実朝
源 頼朝(みなもと の よりとも)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将である。鎌倉幕府の初代征夷大将軍として知られる。
平安時代末期に河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると平氏打倒の兵を挙げ、関東を平定し鎌倉を本拠とする。弟たちを代官として源義仲と平氏を滅ぼし、戦功のあった末弟・源義経を追放し、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦では奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。
これにより朝廷から半ば独立した政権が開かれた。この政権は後に鎌倉幕府と呼ばれ、幕府などによる武家政権は王政復古の大号令まで足掛け約680年間に渡り、存続することとなる。
目次
1 生涯
1.1 出生
1.2 平治の乱
1.3 伊豆の流人
1.4 挙兵
1.5 関東平定
1.6 義仲との戦い
1.7 平氏追討
1.8 義経追放
1.9 天下の草創
1.10 奥州合戦
1.11 征夷大将軍
2 年表
3 祭祀
4 容姿
5 人物像
6 評価
7 研究
7.1 清盛の遺言
7.2 義経との対立
7.3 死因
8 系譜
9 家人
10 脚注
11 参考文献
12 関連項目