源 湛(みなもと の たたう、承和12年(845年)−延喜15年5月21日(915年7月6日))は、平安時代前期の公卿。嵯峨源氏。嵯峨天皇の皇孫で、父は左大臣源融。母は贈太政大臣藤原総継女。寄・准・若・添らの父。
貞観5年(863年)に無位から従五位下に叙位され、その後、備後権介・右近中将・蔵人頭・内蔵頭などを歴任して寛平5年(893年)参議となる。更に延喜8年(908年)従三位中納言となり、同13年(913年)大納言になったが、翌年致仕して延喜15年(915年)5月21日薨去した。早く死別した妻・藤原氏のために七七日修功願文、亡父融の周忌法会願文がいずれも『菅家文草』に収録されている。土御門大路北・木辻小路東に所在した宇多院は、もともとは湛の邸宅だったらしい。
参考文献
角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。
カテゴリ: 平安時代の人物 | 嵯峨源氏 | 845年生 | 915年没
更新日時:2008年7月5日(土)23:06
取得日時:2008/08/24 18:20