源 昇(みなもと の のぼる、嘉祥元年(848年) - 延喜18年6月29日(918年8月8日))は、平安時代前期の公卿。嵯峨源氏。嵯峨天皇の皇孫。父は河原左大臣源融。河原大納言と号した。子に仕・是茂・衆望・後・適らがいた。
貞観17年(885年)正月に従五位下に叙位された。その後、土佐権守・右馬助・左兵衛佐・左衛門権佐・近江介などを歴任。左衛門権佐に在任していた仁和2年(886年)5月、勅令を受けて近江国に新道を開くため、阿須波道の利害を検している。寛平2年(890年)侍従になる。寛平4年(892年)2月、木工頭を兼ねて蔵人頭になり、同年左中弁になる。寛平7年(895年)10月参議に任ぜられ、その後、勘解由長官・右兵衛督を兼任した。寛平9年(897年)7月従四位上になり、延喜4年(904年)正四位下に昇進し、延喜8年(908年)2月従三位中納言となった。延喜9年(909年)4月に民部卿を兼ねた。延喜14年(914年)8月には民部卿のまま大納言になる。延喜16年(916年)3月、正三位に昇進し、その機会に父融の遺産だった河原院を宇多法皇に献上した。翌年の延喜17年(917年)10月には宇多法皇がその河原院で昇の七十の賀宴を催した。延喜18年(918年)6月29日、71歳で薨去した。『新勅撰和歌集』(歌番号502)・『後撰和歌集』(歌番号1236)に各1首入集している。
参考文献
角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
カテゴリ: 平安時代の公家 | 嵯峨源氏 | 848年生 | 918年没
更新日時:2008年7月6日(日)11:43
取得日時:2008/09/06 13:08