海龍_(潜水艇)
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海龍(大和ミュージアムにて)

海龍(海竜)(かいりゅう)は、大日本帝国海軍特殊潜航艇の一種で、敵艦に対して魚雷若しくは体当りにより攻撃を行う有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器である。SS金物とも呼ばれた。

本土決戦用の特攻兵器として開発され、飛行機の部品などを使って横須賀の海軍工廠などで、1945年(昭和20年)に全部で200隻が建造された。通常の潜水艦と異なり、翼を有し、飛行機のように上昇と下降を行うため、構造が単純で建造を短期間に行うことができた。終戦により、本土決戦が回避されたため実戦に投入されることはなかったが、海龍が攻撃された例はある。
目次

1 計画

2 実用型

3 諸元(計画時)

4 関連項目

5 外部リンク

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計画

計画時は目標近くまで母艦任務の潜水艦で運ばれ出撃し、敵艦艇を雷撃した後に母艦へ帰還する、とされていた。帰還するためには母艦との連絡が不可欠だが、水中電話等は装備されていないため、連絡のためにはお互い浮上する必要があった。しかし、敵の脅威が存続する状況下での浮上は自殺行為であるため、実質的には帰還は不可能だったといえよう。

また甲標的同様の「雷撃後に艦首が持ち上がる」欠点があった。


実用型

このため、後期の海龍は戦況の悪化も高じて艇首に爆薬を充填し、体当り攻撃を前提とした特攻兵器として建造されることとなった。 海龍は速度が遅いため、本土決戦では敵輸送船団への攻撃作戦を行うことになっていた。

海中飛行機の発案は、技術的には興味深いが、当時の技術で、少数の乗員が乗艦する潜水艇が、三次元空間の運動性、安定性を両立させることは困難であった。大戦末期の資材の不足、品質の低下の中にあって、実用化された海龍の性能は計画値よりも大幅に低いものだったと推測される。人間魚雷回天よりも速力が大幅に遅い海龍では、たとえ低速の輸送船相手であっても、護衛艦艇に阻止され攻撃は難しかったと考えられる。

戦後の1945年9月に横須賀へ進駐してきたアメリカ軍は、海龍を多数鹵獲(ろかく)し、秘匿基地や生産工場も発見し写真を残している。これらの写真は、アメリカ海軍歴史センター(Naval Historical Center)が保管、公開しているが、魚雷を装備した海龍はおろか、外装魚雷担架、搭載が計画されていた魚雷も全く写っていない。1945年には、より高性能の特殊潜航艇である蛟竜への魚雷装備もままならない状況だったことから、海龍の魚雷搭載は放棄され、事実上、体当たり自爆を目的とした人間魚雷として量産されていたようである。大和ミュージアムが魚雷2本を搭載した計画当初の潜水艇海龍を展示しているが、このような魚雷装備の海龍は量産、配備されたことはなかったと考えられる。


諸元(計画時)

全長:17.2m

全幅:3.5m

排水量:水中19.3t

最大速度:水上6.5kt、水中10kt

水中航続距離:69km(37.5海里)/5kt

水上航続距離:832.5km(450海里)/3kt

兵装:45cm魚雷発射管×2若しくは火薬600kg


関連項目

蛟竜 (潜水艦)


外部リンク

最後の特攻兵器:「海龍」「蛟龍」「剣」

この「海龍 (潜水艇)」は軍艦に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(P:軍事PJ軍事PJ船
カテゴリ: 日本の潜水艦 | 特攻兵器 | 軍艦スタブ

更新日時:2008年2月11日(月)07:29
取得日時:2008/09/03 12:03


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki