獲得メダル
日本
女子 レスリング・フリースタイル
オリンピック
銅200472kg級
銅200872kg級
レスリング世界選手権
金199775kg級
金199875kg級
金199975kg級
銅200075kg級
金200272kg級
金200372kg級
銀200572kg級
銀200672kg級
アジア大会
金200272kg級
金200672kg級
レスリングアジア選手権
金199675kg級
金200472kg級
金200672kg級
金200772kg級
金200872kg級
浜口 京子(はまぐち きょうこ、1978年1月11日 - )は、東京都台東区出身の女子アマチュアレスリング選手。
ジャパンビバレッジ所属。日本オリンピック委員会選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。
目次
1 略歴
2 戦績
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
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中学時代は水泳をやっており、その後女子プロレスラーを志望。元プロレスラーの父・アニマル浜口(浜口平吾)が経営するアニマル浜口レスリング道場で父の指導のもとボディビルのトレーニングをするようになり、プロレスラー志望の男性選手に混ざって14歳からアマレスを始める。
アマレスを始めて4〜5年程度で全日本選手権・世界選手権等にて優勝。実績を重ね、2004年のアテネオリンピックに女子レスリング72kg級の日本代表として出場した。最終順位は3位(準決勝で王旭(中国)に敗退)。開会式では日本選手団の旗手を務めた。2006年の世界選手権女子72kg級決勝で、スタンカ・ズラテバ(ブルガリア)のバッティング(頭突き)を顔面に受け負傷。審判団に対し父が抗議をするが、ズラテバの当該行為にはペナルティが課せられないまま試合は続行。浜口は敗戦し、同選手権72kg級2位となる。試合後、浜口の負傷は全治4ヶ月の鼻骨骨折(4ヶ所)と判明。日本レスリング協会は、ズラテバの危険行為に関する抗議文書を国際レスリング連盟およびブルガリアレスリング協会に送付した[1]。
2005年および2006年の世界レスリング選手権の決勝で敗退。最終順位は2年連続で2位。2007年5月にビシケクで行われたアジア選手権72kg級の準決勝にて、アテネオリンピックで敗れた王旭を2対1で下し、つづく決勝ではオリガ・ジャニベコバ(カザフスタン)を2対1で下して優勝した。同年9月に世界レスリング選手権2回戦で、因縁となるズラテバと対戦。今度は技の掛け合い(攻防)の際の微妙な状況でズラテバにのみポイントが加算されるという事態が発生した。これに対しスコアボードを叩いて抗議する浜口であったがビデオ映像のチェックは行われないまま試合は続行。結果はズラテバの勝利に終わり、敗戦した浜口はこの大会では北京オリンピック出場権を得ることはできなかった。これについて、日本レスリング協会は誤審だとして国際レスリング連盟に対し審判に制裁を科すよう抗議した。
2008年のアジア選手権72kg級で優勝して出場権を得た北京オリンピックでは、準決勝で中国の王嬌に敗れたものの、3位決定戦で勝利、2大会連続で銅メダルを獲得した。
戦績
1996年 全日本選手権* 1997年 全日本選手権75kg級優勝
1997年 世界選手権75kg級優勝
1998年 全日本選手権75kg級優勝
1998年 世界選手権75kg級優勝
1998年 国際連盟女子最優秀選手
1999年 全日本選手権75kg級優勝
1999年 世界選手権75kg級優勝
2000年 全日本選手権75kg級優勝
2001年 全日本選手権75kg級優勝
2001年 大阪・東アジア大会75kg級優勝
2002年 全日本選手権72kg級優勝
2002年 世界選手権72kg級優勝
2002年 釜山・アジア大会72kg級優勝
2003年 全日本選手権72kg級優勝
2003年 世界選手権72kg級優勝
2004年 アテネ五輪テスト大会72kg級準優勝
2004年 アテネオリンピック72kg級3位
2005年 世界選手権72kg級2位
2005年 全日本選手権72kg級10連覇、天皇杯受賞
2006年 ジャパンクイーンズカップ72kg級優勝
2006年 ワールドカップ72kg級準優勝
2006年 ドーハ・アジア大会72kg級準優勝
2007年 アジア選手権72kg級優勝
2007年 世界選手権72kg級2回戦敗退
2008年 アジア選手権72kg級優勝
2008年 北京オリンピック72kg級3位
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^ " ⇒日本協会がFILAとブルガリア協会へバイオレンス・ファイトを抗議へ" 日本レスリング協会公式ホームページ. 2006年10月6日閲覧.