浅草公園六区(あさくさこうえん ろっく)は東京都台東区浅草にある歓楽街。通称浅草六区。
目次
1 歴史
2 主な劇場
3 その他
4 交通
5 関連項目
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1873年(明治6年)の太政官布告により、浅草寺境内が「浅草公園」と命名され、1884年(明治17年)一区から七区までに区画された。この時浅草寺裏の通称・浅草田圃の一部を掘って池を造り、池の西側と東側を築地して街区を造成。これが第六区となり、浅草寺裏手の通称奥山地区から見せ物小屋等が移転し、歓楽街を形成した。
その後、1887年(明治20年)の根岸興行部の常盤座に始まり演劇場、活動写真常設館、オペラ常設館などが出来て隆盛を誇り、江川の玉乗り、浅草オペラ、安来節等が注目を浴びた。突き当たりに位置した凌雲閣は通称「十二階」と呼ばれた高層ビルで、その展望台は浅草はおろか東京でも有数の観光名所となったが、関東大震災で崩壊した。
昭和期に入っても「アチャラカ」と呼ばれた荒唐無稽の喜劇が好評を博し、戦後も軽演劇、女剣劇、ストリップおよびその幕間に演じられたコントが注目を浴び、芸能の殿堂・一大拠点として、ここからスターとなった芸能人も数多かった。
1959年浅草寺五重塔再建のためにランドマークであった通称「瓢箪池」が埋め立てられ、跡地に楽天地の遊園地と東急グループの複合娯楽施設「新世界」が立つ。また、奥山から新世界までの間が西参道商店街として整備される。
しかし1960年代に入り、テレビ時代を迎え東京オリンピック以降、新宿、渋谷、六本木など城南方面に若者の文化が芽生え、浅草公園六区は急激な地盤沈下を迎える。映画館・劇場は悉く閉鎖され、新世界の跡には場外馬券売場 (WINS) が移転して、以降平日は通行人がまばらで週末は競馬目当ての労務者が集中する光景が多くなった。夜間は7時になると人通りも疎らになり、不夜城と詠われた嘗ての殷賑振りとは隔世の感がある。
こうした六区地区の斜陽に歯止めを掛けるべく、地元の「おかみさん会」等の下支え等により次第に復調の兆しを見せ、今日に至っている。
戦後の最盛期、昭和30年代の劇場は以下の通り:
浅草東映劇場
東映直営の封切館。十二階の跡地に建設。現在は閉鎖・売却され、跡地にパチンコ店が立地。
浅草東映パラス
東映直営の洋画封切館。東映洋画系。浅草東映劇場内。現在は閉鎖。
浅草東映ホール
東映直営。浅草東映劇場内。名画座、成人映画封切を経てにっかつ封切の「浅草日活」。のち松竹に賃貸して「浅草松竹映画劇場」(三代目)になるが、閉鎖。
浅草新劇場
邦画名画座。中映株式会社経営。東宝・松竹・大映・日活の名作を組み合わせて上映。ただし、その組み合わせ方は一種異様で独特。(チャンバラ映画とヤクザ映画と純愛物、封切終了直後の話題作とB級喜劇とアイドル映画など)。元々は実演劇場で「江川劇場」。戦時中松竹の経営となり「浅草松竹新劇場」と改称。清水金一の実演が売り物だった。その後松竹傍系の中映に移管され、名画座になる。
浅草世界館
中映経営。成人映画上映。元々は大勝館にあったが、浅草新劇場内に移転。
浅草シネマ
中映経営。成人映画上映。浅草新劇場内。もともとはストリップ劇場「浅草座」
浅草中映劇場
中映経営。邦画名画座。浅草中劇会館内。旧大都劇場。
浅草名画座
中映経営。洋画名画座。浅草中劇会館内。現在は日本映画の名画座。
浅草美人座
中映経営。ストリップ劇場。浅草中劇会館裏手。現在は閉鎖。
浅草花月劇場
吉本興業直営。戦前期、「吉本ショウ」を興行。「あきれたぼういず」を売り出す。戦後「浅草グランド劇場」と改称して洋画封切館に転身。その後浅草花月劇場に名前を戻し、軽演劇や女剣劇を上演。1960年代以降は東映作品を中心とした邦画名画座に転換。漫才ブームの最中に閉鎖。当時吉本唯一の東京の事業所であったが、吉本側ではすでに浅草は終わった場所として見限っていたため、漫才ブーム後躍進した吉本の東京の拠点には成り得なかった。現在はJRAWINS別館。
浅草アンコール劇場
もともとは浅草公園劇場の名前で実演を上演。軽演劇やストリップ、女剣劇と興行形態を転々とし、この名前で名画座となった後廃座。パチンコ店に転換した。松竹経営。
浅草ロック座
東宝の泰豊吉社長にストリップショウの有望性を説かれた東洋興業の松倉宇七が開業。戦後の浅草の中心的存在となり、特にストリップは東洋興業と中映が鎬を削って発展させた。ロック座には踊り子(ストリッパー)の他有能なコメディアンが数多く在籍して隆盛を誇っていたが、ストリップを取り巻く環境が変化し、関西発祥の猥雑な興行形態が主体となるにつれ、東洋興業はストリップ興行からの撤退を決意。人気ストリッパーの東八千代(斎藤智恵子)と歩興行の契約を結び運営一切を委譲。まもなく正式に売却し、斎藤の手により改築され内装・興行形態も一新。関西系の猥雑な内容を一切行わず、レビュー形式の舞踊を主体とした興行形態がロック座のスタイルとして確立し、ロック座チェーンの旗艦劇場として現在に至る。
浅草東宝劇場
東京楽天地経営。東宝封切館であったが、深夜興行には独特のプログラム(クレージーキャッツ特集・ゴジラ特集など)を組み、映画ファンに好評を得ていた。元々は浅草楽天地の遊戯施設があった箇所。2006年閉鎖。これで浅草公園六区から封切館が消滅。
浅草宝塚劇場
東京楽天地経営。東宝系の映画館であるが、実演の興行も行われた。現在は楽天地ボウル。
浅草大勝館
大衆演劇を上演する劇場。浅草ロック座の斉藤会長が経営。もともとは洋画封切館で、ロードショー劇場。松竹が長年経営していたが斜陽により1971年に閉鎖。中映の手により、「浅草中映ボウル」に改築され、中にキャピタル、ロマン、アポロの各映画館が設けられたが、いずれも成人映画を上映していた。1980年代半ばに閉鎖され、長年空家状態のまま放置されていた。