沖浦ダム
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所在地
左岸:青森県黒石市袋字平山
右岸:青森県黒石市沖浦字村上36
位置 ⇒北緯40度34分31秒
東経140度41分04秒
河川岩木川水系浅瀬石川
ダム湖虹の湖
形式重力式コンクリートダム
ダム諸元
堤高40.0 m
堤頂長171.0 m
堤体積81,000 m3
総貯水容量3,583,000 m3
有効貯水容量2,063,000 m3
流域面積200.8 km2
湛水面積39.0 ha
利用目的洪水調節・不特定利水・発電
事業主体青森県
電気事業者東北電力
発電所名
(認可出力)沖浦ダム発電所
(2,000kw)
施工業者熊谷組
着工年/竣工年1933年/1944年
備考1988年、浅瀬石川ダム竣工により水没
■Template (■ノート ■解説) ■ダムpj
沖浦ダム(おきうらだむ)は青森県黒石市、岩木川水系浅瀬石川(あせいしかわ)にかつて建設されていたダムである。
青森県が管理していた多目的ダムで、日本で初めて施工が開始された多目的ダムとして有名である。高さ40.0mの重力式コンクリートダムで、浅瀬石川の治水と水力発電を目的に1945年(昭和20年)に完成、以来43年間に亘って流域の発展に寄与していた。だが建設省東北地方建設局(現在の国土交通省東北地方整備局)がさらなる治水と利水の強化を目的に1988年(昭和63年)に浅瀬石川ダム(あせいしかわダム)を建設したことにより、完全に水没し現存しないダムとなった。ダム湖は虹の湖(にじのみずうみ)と呼ばれたが、名称は浅瀬石川ダム湖に継承されている。
目次
1 地理
2 沿革
3 目的
4 浅瀬石川ダム
5 虹の湖
6 関連項目
7 出典
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浅瀬石川は、岩木川水系の主要な河川である平川の支流である。十和田湖の西側に広がる八甲田山系を水源として概ね北に流れ、黒石市内を貫流したのちに南津軽郡藤崎町において平川に合流する。平川は浅瀬石川と合流すると直ぐに岩木川に注ぎ、北へ流れ十三湖を経て日本海に注ぐ。ダムは黒石市の上流部、温湯温泉の上流にある。ダム名は所在地右岸部の大字から命名された。
日本の土木技術理論において大正末期から昭和初期に掛けての第一人者であった物部長穂(内務省土木試験所長・東京帝国大学教授)は河川を一貫して開発し、従来別個に行っていた治水事業と利水事業を統合して開発する構想を打ち立てた。この「河水統制計画案」は内務省技官・青山士によって採用され、1935年(昭和10年)より「河水統制事業」として全国七河川一湖沼(諏訪湖)で推進する事とした。後の河川総合開発事業のはしりである。
その七河川(奥入瀬川・浅瀬石川・鬼怒川・江戸川・相模川・錦川・小丸川)の一つに浅瀬石川が挙げられ、青森県は岩木川水系の治水事業を1919年(大正8年)より進めていたが、万全な対応を図るべく「岩木川河川水統制事業」として洪水調節・かんがい・水力発電を目的とした総合開発を進めた。そして根幹施設として浅瀬石川本川に多目的ダムを建設し治水・利水を図ろうとした。こうして1933年(昭和8年)より建設が始まり、1945年(昭和20年)に完成したのが沖浦ダムである。
日本ではこれ以前はかんがい・発電・水道の何れか単独目的でしかダムは建設されていなかったため、沖浦ダムは日本で最初に建設に着手された多目的ダムとなった。但し、日本で最初に完成した多目的ダムは、同じく1935年より河水統制事業が実施された錦川で、山口県によって建設された向道ダム(重力式コンクリートダム・堤高43.3m)が最初であり、1940年(昭和15年)に完成している。
目的は基準地点である温湯地点において計画高水流量(計画された最大限の洪水流量。過去最悪の洪水を基準とする)を毎秒620トンから毎秒520トン(毎秒100トンのカット)に軽減させる洪水調節、黒石市など浅瀬石川流域の農地6,687haへ慣行水利権分の農業用水補給を図る不特定利水、並びに日本発送電による2,000kWのピーク時発電を行う発電である。なお、発電事業は戦後日本発送電が過度経済力集中排除法に抵触、1951年(昭和26年)の「電力事業再編令」による分割後東北電力に継承された。