洋務運動(ようむうんどう)は、中国の清朝末期に起こった、ヨーロッパ近代文明の科学技術を導入することで中国の国力増強を図ることを意図した運動。清朝の高級官僚であった曽国藩・李鴻章・左宗棠・劉銘伝・張之洞らがこの運動の推進者として知られる。
1840年のアヘン戦争、1856年のアロー号事件によって、ヨーロッパの近代的な武器の威力と優位性は、中国の上層部に十分に認識されていた。1864年に太平天国の乱が鎮圧されると、曽国藩・李鴻章らの国内における政治的優位が確立された。彼らは、国力増強のために、ヨーロッパの機械化された軍備を自前でまかなうために、上海の江南製造局に代表される武器製造廠や造船廠を各地に設置した。
他にも、電報局・製紙廠・製鉄廠・輪船局や、陸海軍学校・西洋書籍翻訳局などが、新設された。そのスローガンは、「中体西用」という言葉で表される。つまり、伝統中国の文化や制度を本体として、西洋の機械文明を枝葉として利用するのだということが表明されている。日本の維新期の文明開化における「和魂洋才」と同趣旨の言葉である。なお、「洋務」という語は、この運動が、元来は海防を任務とする外国人に対する事務であったことに由来している。
これらの改革は、時期の早さでも規模の大きさでも日本の明治維新にまさっていた。たとえば日清戦争以前、中国の北洋艦隊(北洋水師)は規模や質において日本海軍を上回りアジア最大の艦隊であった。しかし日清戦争での敗戦を以って洋務運動の挫折は明らかとなった。現代では、技術的な面のみ取り込んで旧弊な政治制度・軍制は守ろうとし、合理主義などのヨーロッパ近代思想を取り込むことに失敗したために結局頓挫したとの評価が与えられている。しかし例えば張之洞の製鉄所や鉱山、鉄道の整備など、後代につながる成果を残しているものも多い。
目次
1 洋務派の官僚たち
1.1 中央
1.2 地方
2 外部リンク
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中央
恭親王奕?(軍機大臣・議政王大臣 )
文祥(軍機大臣・総理各国事務衙門大臣)
沈桂芬(軍機大臣・総理各国事務衙門大臣)
地方
曽国藩(両江総督・直隷総督)
李鴻章(直隸総督・北洋大臣)
左宗棠(陝甘総督)
張之洞(両広総督・湖広総督)
劉坤一(両広総督・両江総督)
沈葆?(両江総督・南洋大臣)
丁宝?(山東巡撫・四川総督)
丁日昌(江蘇巡撫・福建巡撫)
劉銘伝(台湾巡撫)
崇厚(三口通商大臣)
外部リンク
⇒林思雲 「福沢諭吉の「脱亜論」を読んで」
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カテゴリ: 中国の歴史関連のスタブ項目 | 清朝
更新日時:2008年5月15日(木)16:16
取得日時:2008/07/20 13:56