池畑慎之介
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いけはた しんのすけ
池畑 慎之介
本名池畑 慎之介
別名ピーター
生年月日1952年8月8日(56歳)
出生地 日本
大阪府堺市西区
ジャンル俳優タレント歌手
活動期間1969年?
主な作品

受賞
第11回日本レコード大賞最優秀新人賞
備考
歌手・タレントとしての活動の際『ピーター』の芸名を使用。
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池畑 慎之介/ピーター(いけはた しんのすけ、1952年8月8日 - 、本名:池畑慎之介)は、大阪府堺市西区出身の俳優歌手

デビュー以降一貫してピーターを名乗ってきたが、1985年ごろから、レビューショーやバラエティー番組の時は「ピーター」、役者の時は男役女役に関わらず「池畑慎之介」と、二つの名前を使い分けるようになった。愛称は「ピー」。
目次

1 来歴・人物

1.1 デビューまで

1.2 デビュー以降


2 エピソード

3 主な出演作

3.1 舞台

3.2 映画

3.3 テレビ (ドラマ)

3.4 テレビ (バラエティー)

3.5 ラジオ

3.6 声優


4 歌

5 出版物

6 出典

7 関連項目

8 外部リンク

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来歴・人物


デビューまで

慎之介は、上方舞吉村流四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝 の長男として生まれた。3歳で初舞台を踏み、お家芸の跡継ぎとして父から厳しく仕込まれた。5歳の時に両親が離婚、好きな方を選べと言われ、父は舞の稽古で鬼のように怖かったので母・池畑清子と暮らすことを選択、鹿児島で少年時代を過ごした。慎之介が父方の橋本姓ではなく母方の池畑姓を名乗るのはこれ以降である。

鹿児島では進学校の名門、ラ・サール中学校に入学。母を喜ばせるため必死で勉強したという。しかし寮生活の息苦しさに耐えられず、中学2年の秋に家出、東京へ向かう。

新宿へ行くつもりが原宿へたどり着き、表参道のクラブで募集していたゴーゴーボーイに応募、年齢をごまかして働き始めたが、在京の吉村流の関係者に発見され、すぐに実家に連れ戻された。この事件を機に両親が復縁している。

堺市立浜寺中学校を卒業後、大阪市内の名門私立高校である桃山学院高等学校に入学。しかし高校1年の時に再び家出して上京。この時働いていた六本木のゴーゴークラブで、男の子か女の子か分からない美少年ということから「ピーター・パン」と呼ばれていた。これが芸名「ピーター」の由来である。


デビュー以降

六本木のクラブで知り合った作家水上勉のパーティーに呼ばれ、ATG映画『薔薇の葬列』にかかわっていた舞台美術家の朝倉摂に「主役の美少年にぴったり」とスカウトされた。1969年、俳優ピーターが誕生、同年には歌手デビューもし、デビュー曲『夜と朝のあいだに』で第11回日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞、女性からの広い支持を受けて一躍アイドルスターとなった。

その後、数々映画に出演する一方で歌手としての活動も続けていったが、1985年黒澤明監督の『』で重要な狂言師役に抜擢された頃から役者としての層に厚みが増すようになり、これが今日の「二人の」池畑につながっている。

池畑本人も才能ある舞踊家で、長らく「吉村雄秀(ゆうひで)」の名取でもあり、吉村流の例会にもきちんと出ていた。父・雄輝は晩年「慎之介をどうかよろしく」と家元継承を臭わせる発言もしていたが、1998年に死去すると池畑は自ら「雄秀」を返上して吉村流とは決別し、家元は実力のある内弟子が継ぐ、という流派の伝統を守らせた。本人は一から舞踊の勉強をやり直すことを決意したという。

なお父の死を機に、母と再び熱海で同居を始めている (2002年に死去)[1]

2008年7月1日付で、上戸彩米倉涼子など女性芸能人が大勢所属する大手芸能事務所、オスカープロモーションに所属することになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki