衆議院議員 江田憲司生年月日1956年4月28日(52歳)
出生地岡山県
出身校東京大学
学位・資格法学士、司法試験合格
前職桐蔭横浜大学教授
内閣総理大臣秘書官・通産大臣秘書官
所属委員会
内閣役職衆議院環境委員会委員
世襲無
選出選挙区神奈川県第8区
当選回数2回
所属党派(自由民主党→)無所属
党役職
会館部屋番号衆議院第2議員会館 712号室
ウェブサイト ⇒江田けんじNET
江田憲司(えだ けんじ、1956年4月28日 - )は日本の政治家(衆議院議員)。テレビ、選挙ポスターなどでは江田けんじと表記されている。
目次
1 概要
2 年譜
3 テレビ出演
4 著書
5 外部リンク
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元通産官僚。村山内閣当時の通商産業大臣秘書官事務取扱として橋本龍太郎通産大臣に仕えたことがきっかけとなり、橋本内閣成立時に橋本首相の政務担当内閣総理大臣秘書官(首席秘書官)に現役官僚から異例の抜擢を受ける。当時39歳の若さであったことも注目を集めた。橋本首相の下で中央省庁再編や金融改革等、重要案件の調整にあたるなど活躍し、橋本内閣総辞職と同時に退官する。一部では「官邸の森蘭丸」とも呼ばれた。
その後、2000年6月総選挙で衆議院神奈川県第8区から自由民主党公認で出馬するも、無所属の会公認・民主党推薦の中田宏に敗れ落選。その後は自由民主党と袂を分かち、テレビ番組のコメンテーターなどをしながら無所属で政治活動を続けた。
2002年10月、中田が横浜市長選出馬で失職したことに伴う衆院補選に出馬し、テレビ出演による抜群の知名度と改革派のイメージで無所属のハンディを克服し初当選。2003年11月総選挙で東京比例区から鞍替えしてきた民主党の岩國哲人に敗北し議席を失うも、2005年9月総選挙で再び無所属で出馬し当選。神奈川県の選挙区では与党候補が圧勝して民主党候補が全員小選挙区落選をする中で、小選挙区当選した唯一の非与党議員となった。
江田は現在いかなる政党・会派にも属さない完全無所属の立場を貫いており、野党の動向に関わらず、政府案に賛成をすることも反対することもある。2005年の衆議院選挙で郵政民営化が有権者の支持を得たことを理由に、首班指名選挙では小泉純一郎を支持し、翌10月に採決された郵政民営化法案に賛成票を投じた。2006年3月2日の本会議では一般会計予算案に賛成票を投じた。
2006年9月、2007年9月に行われた首班指名選挙では投票者の名前(自身の名前)だけを書き、被投票者の氏名を書かず無効票を投じた(それぞれ選出されたのは安倍晋三、福田康夫)。いずれの指名選挙でも、全衆議院議員で唯一の白票を投じている。
たかじんのそこまで言って委員会出演時に、東大法学部在学中司法試験に合格していることを明らかにした(江田は現在2期目だが、1期目は在職丸1年。今期が任期満了で解散しなければ国会議員在職5年となり100時間の研修を経て弁護士登録が可能となる)。
2007年8月の『朝まで生テレビ!』の番組内におけるテロ対策特別措置法延長問題に関する議論で、自身が調査した米軍のホームページに掲載された資料を提示し、アフガニスタンの米軍に給油されていたと思われていた自衛隊の燃料が、実はイラク派遣の米軍の後方支援に当てられていたことを明らかにし、視聴者から大きな反響が寄せられた(この件に関して米海軍は否定している)。
第168臨時国会に際しては、テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊の給油活動など、安全保障政策に関する質問主意書を多く提出している。その中には『自衛隊のホームページに関する質問主意書(2007年10月5日)』中「シビリアンコントロールの観点からも…自衛隊が作成するホームページ、ビデオ…の構成、内容等については…大臣、事務次官、局長といったポストの人間がしっかりとチェックすべきではないか。」というような質問もあるが、政策通として評価し今後の活躍を期待する向きもある。
年譜
1956年 岡山県に生まれる。父は警察官。
1972年 岡山大学教育学部附属中学校卒業。
1975年 岡山県立岡山操山高等学校卒業、東京大学教養学部文科1類入学。
1979年 東京大学法学部卒業、通商産業省(現・経済産業省)入省。入省同期に、押田努(貿易経済協力局貿易管理部長)、高橋英樹(官房政策評価審議官、奈良県警本部長)、谷みどり(経産研究所上席研究員)など。
1987年 アメリカ・ハーバード大学に官費留学。
1988年 帰国、通産省に復職。
1994年 通商産業大臣秘書官事務取扱。
1996年 内閣総理大臣秘書官に抜擢。
1998年 退官。