江戸藩邸
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江戸藩邸(えどはんてい)とは、江戸における大名屋敷である。大名には江戸幕府により、江戸城付近から郊外にかけて複数の屋敷用地が与えられていた。 大名が建てた屋敷の用途と江戸城からの距離により、上屋敷・中屋敷・下屋敷と呼ばれたが、これらを総称して江戸藩邸という。 すべての大名が上屋敷・中屋敷・下屋敷を有したわけではなく、中屋敷を持たない、複数の下屋敷を有する藩など様々である。
目次

1 概要

2 拝領屋敷と抱屋敷

2.1 上屋敷

2.2 中屋敷

2.3 下屋敷

2.4 抱屋敷


3 明治維新後の江戸藩邸

3.1 代表的な江戸藩邸と跡地の現在


4 関連項目

5 参考文献

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概要

江戸藩邸は、参勤交代制度により1年毎(大名により異なる)に江戸と本国を行き来する大名の、江戸における居住地であった。 また、大名の正室嫡子は人質として江戸に常住することが定められており、江戸藩邸に居住した。 家臣では江戸家老など江戸に在勤した役職もあるが、多くの家臣は大名の参勤交代に従って本国から江戸に移り、藩邸内に設けられた長屋などに居住した。 貞享元年(1684年)の土佐藩の場合、江戸藩邸全体の居住者は3195人(うち上屋敷で1683人)を数えた。 大名にとっては本国の居城と同様の重要な建物であり、格式を維持するため莫大な費用を必要とした。

江戸藩邸は幕府と藩を繋ぐ政治的な窓口の役割も果たした。 幕府からの連絡は藩邸に伝えられ、その後藩邸から本国へ伝えられる。一方、本国から幕府へ連絡する場合も、藩邸を経由して伝えられた。 また、江戸藩邸の内部は幕府の統制外に置かれ、仮に犯罪者が藩邸内に逃げ込んだとしても、幕府が捜査権を行使することはなかった。

屋敷の広さには石高による基準が存在し、元文3年(1738年)の規定では、1-2万石の大名で2500坪、5-6万石で5000坪、10-15万石で7000坪などとされていた。 実際にはこの基準より広い屋敷も多く、上屋敷だけで10万坪にも達した加賀藩などの例もあり、厳密な適用はされていなかった。 屋敷や土地は形式上幕府から借り受けたものであるが、幕府の許可を得た上で相対替え(屋敷同士の交換、差額を金銭で補う)という形を取り売買は行われた。


拝領屋敷と抱屋敷

上屋敷・中屋敷・下屋敷はいずれも江戸幕府から与えられた土地・屋敷であり、拝領屋敷という。 一方、大名が民間の所有する農地などの土地を購入し建築した屋敷は、抱屋敷(かかえやしき)と呼ばれる。


上屋敷

上屋敷は江戸藩邸のうち、大名とその家族が居住し、江戸における藩の政治的機構が置かれた屋敷である。 大名が居住するため居屋敷(いやしき)とも呼ばれた。 大名は在府中、定例の登城日や役職に定められた日など、しばしば登城する必要があったため、通常は最も江戸城に近い屋敷が上屋敷となった。 大名が在府の際はここで政務を取り、大名が帰国した後は江戸留守居役が留守を預かり、幕府や本国との連絡役を務めた。

上屋敷の構成は、大きく御殿空間(ごてんくうかん)と詰人空間(つめにんくうかん)に分けられる。 御殿空間は大名の居室などの表御殿、正室の居室などの奥御殿や庭園などであり、詰人空間は家臣の住まいである長屋、藩の政務を行う施設や厩舎などで構成された。


中屋敷

中屋敷は上屋敷の控えとして使用され、多くは隠居した大名や成人した跡継ぎの屋敷とされた。 下屋敷と比較した場合、江戸城までの距離は近く、規模は小さいことが多い。 中屋敷や下屋敷にも長屋が設けられ、参勤交代で本国から大名に従ってきた家臣が居住した。


下屋敷

下屋敷は主に庭園など別邸としての役割が大きく、大半は江戸城から離れた郊外に置かれた。上屋敷や中屋敷と比較して規模は大きいものが多い。 江戸市中はしばしば大火に見舞われたが、その際には大名が避難したり、復興までの仮屋敷として使用された。 藩により様々な用途に利用され、本国から送られる米や各種物資を貯蔵する場として、遊行や散策のために作られた大名庭園として、あるいは菜園などとして転用される場合もあった。


抱屋敷

抱屋敷は江戸の郊外にあり、下屋敷と同様、藩により様々な用途に使用された。 拝領屋敷と異なり、それまでその土地に掛けられていた年貢諸役は、大名の所有となった後も負担する必要があった。 また、屋敷や土地は幕府の職の一つである屋敷改(やしきあらため)の支配を受けた。


明治維新後の江戸藩邸

明治維新後、江戸藩邸の多くは明治政府に明け渡され、跡地は主要官庁や軍の関連施設などに利用された。 また、小石川後楽園新宿御苑など、江戸藩邸内に作られた庭園を活用し、現在でも当時の面影を残す公園として利用している例もある。


代表的な江戸藩邸と跡地の現在

尾張藩徳川家市谷上屋敷 (新宿区市谷) :防衛省庁舎

水戸藩徳川家小石川上屋敷 (文京区後楽園) :小石川後楽園

加賀藩前田家本郷上屋敷 (文京区本郷) :東京大学本郷キャンパス

福岡藩黒田家霞ヶ関上屋敷 (千代田区霞が関) :外務省庁舎

長州藩毛利家麻布日ケ窪上屋敷 (港区六本木) :六本木ヒルズ毛利家庭園

紀州藩徳川家赤坂中屋敷 (港区元赤坂) :赤坂御用地

高遠藩内藤家四谷内藤新宿下屋敷 (新宿区内藤町) :新宿御苑

尾張藩徳川家和田戸山下屋敷 (新宿区戸山) :都立戸山公園

郡山藩柳沢家駒込下屋敷 (文京区本駒込) :六義園


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki