武蔵[[画像:|200px]]
基本情報
本名森 昭生
通称JAPANのエース
世界と戦うサムライ
階級ヘビー級(K-1)
国籍 日本
誕生日1972年10月17日(35歳)
出身地 日本
大阪府堺市南区
命日
死地
スタイルフルコンタクト空手
プロキックボクシング戦績
総試合数
勝ち
KO勝ち
敗け
引き分け
無効試合
武蔵(むさし、1972年10月17日 - )は、日本の男性空手家、キックボクサー。本名は森 昭生(もり あきお)。大阪府堺市南区出身。身長185cm、体重102kg。正道会館所属。近畿大学卒[要出典]。
旧リングネームはムサシ。リングネームの由来は右も左も両方撃てる二刀流であることから。弟はキックボクサーのTOMO。トレーナーは元WBA世界スーパーミドル級チャンピオンのフランク・ライルズ。
目次
1 ファイトスタイル
2 来歴
3 戦績
4 獲得タイトル
5 人物
6 テレビ出演
7 PV出演
8 家族・親族
9 関連項目
10 外部リンク
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武蔵流といわれる相手の攻撃をかわしながら放つカウンター攻撃や、ミドルの軌道でハイを打つフェイントキックで、日本のエースとして数多くの強豪と戦ってきた。ただミドルキックやパンチ打った直後にクリンチを多用し反撃を逃れる、また引いたところにパンチを合わせられて倒れる実質ダメージのないダウンも多い。さらに他の選手と比べて試合中にローブロー(下腹部への攻撃)を受けることが非常に多い。
最大の特徴はKO勝ちが少ない事である。自ら意図的に判定に持ち込むファイトスタイルの為、ミスター判定、判定王などと皮肉られることが多い。 武蔵自身は「トーナメントは判定でも勝たなきゃいけない」と判定狙いであることを堂々と公言してはいるが、結局ワンマッチでもそのスタイルは変わらない。また、日本人は外国人に、絶対的な腕力で劣っていることからの戦術だともしている。とはいえ、判定で勝つためにはフルラウンド(時には延長も)を有利に戦う必要があり、3年連続でスタミナ切れが原因で敗退したこともあることから、今後はスタミナの強化も課題である。また試合中に劣勢になると敵に背を向ける場面が多く見られる。
1995年9月3日、K-1 REVENGE IIでパトリック・スミスとデビュー戦を行い、2RKO勝ち。
1998年5月24日、K-1 BRAVES '98で佐竹雅昭と対戦し、5R引き分け。
1999年6月20日、K-1 BRAVES '99でカークウッド・ウォーカー(イギリス/王者)に3度目の挑戦(過去2度敗退)で、5R左ミドルキックでKO勝ちしWAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座を獲得。
1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦のGP1回戦で佐竹雅昭と再戦。1Rにダウンを奪われたものの5R判定勝ち。この判定に佐竹は激怒しK-1を去ることになる。2回戦では、ミルコ・"クロ・コップ"・フィリポビッチに2RKO負け。
2003年、佐竹雅昭が1994年に成し遂げた以来の、日本人として9年ぶりのK-1 GP準優勝(全試合判定勝ち)を成し遂げた。
2004年5月3日、新日本プロレス所属の柴田勝頼と異種格闘技戦を行い左ハイキックで勝利。この日、記者会見で柴田と乱闘したり、試合で倒れてる柴田に攻撃(反則)したりと一度だけプロレスを体験する。
2004年、K-1 GP準優勝(2年連続で決勝はレミー・ボンヤスキーに判定負け)。
2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタに判定勝ち。
2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦では、1回戦のルスラン・カラエフには判定勝ちしたものの、準決勝のグラウベ・フェイトーザには後ろに下がった隙をつかれ左跳び膝蹴りでKO負け。
2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASでセーム・シュルトに判定負け。
2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜でグラウベ・フェイトーザとリベンジマッチを行う。試合終了間際にダウンを奪われ判定負け。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦で、GP初出場の新鋭ハリッド"ディ・ファウスト"に判定負け。