中華人民共和国 湖北省 武漢市
簡称:漢
湖北省中の武漢市の位置
中心座標 ⇒29°58′20″N, 113°53′29″E
国家中華人民共和国
省湖北
行政級別省会
成立1926年10月
市委書記楊松
市長阮成発
面積
- 総面積8,494 km?
- 市区1,557 km?
人口
- 総人口(2007)970 万人
- 人口密度947 人/km?
- 市区人口(2007)666 万人
経済
- GDP(2007)3,100 億元
- 一人あたりGDP30,930元
⇒電話番号27
⇒郵便番号430000
ナンバープレート鄂A
市樹メタセコイア
市花梅
官方ウェブサイト: ⇒http://www.wuhan.gov.cn/
武漢市(ぶかん、ウーハン、簡体字: 武?, ?音: W?h?n)は中華人民共和国湖北省の地級市であり、省都。また華中地域全域の中心都市である。長江をはさんで、武昌、漢陽、漢口の三鎮が並立し、江城の異称がある。面積8,467平方キロ、総人口781万人(2003年)。経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市に指定されている。
目次
1 行政区画
2 歴史
3 軍事
4 教育
5 交通
6 スポーツ
7 観光
8 姉妹都市
9 外部リンク
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江岸区、江漢区、?口区、漢陽区、武昌区、青山区、洪山区、蔡甸区、江夏区、黄陂区、新洲区、東西湖区、漢南区の13市区を管轄する。
黄陂区の盤龍城遺跡には3500年前の殷(商)代・方国都邑が保存され、長江流域で発見された唯一の殷代都市遺跡として知られる。秦代には南郡に属し、漢代に江夏郡となった。晋代に武昌郡と改められ、江夏県に治所が置かれた。今の武昌である。当時は江北に漢陽があり、双城とされた。明代になって武昌と漢陽をあわせて武漢の名が始まり、また商業都市として夏口鎮が発達した。夏口は後に漢口と改称される。漢口は1858年の天津条約で開港され、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本が相次いで租界を設置した。
清末1853年から1856年にかけて太平天国との攻防が続き、1911年に武昌起義によって辛亥革命が勃発した。1926年10月,国民革命軍が武漢を攻略し、漢口市政委員会、武昌市政庁及び漢陽市政委員会が成立、12月に武昌、漢口、漢陽をあわせて武漢と呼ぶことが正式に決定され、1927年には武漢を首都とする中国国民党左派の汪兆銘政権(武漢国民政府)が成立したが、南京の蒋介石政権に抗しえなかった。
日中戦争により1938年には蒋介石の南京政府が武漢に仮の首都を置いた(皮肉にもその後、1927年とは逆に日本軍に推された汪兆銘により南京に傀儡政権が樹立される)。その後日本軍に押される形でさらに重慶に移った。戦後、1949年5月24日武漢市人民政府が正式に成立した。1967年には文化大革命によって大規模な武装闘争が起り、7月20日には群集が中央代表を殴打する7・20事件が起った。
1986年12月に国家歴史文化名城に指定された。1992年5月に沿江対外開放都市に指定され、1993年4月武漢経済技術開発区が正式に発足、多額の外国投資を導入した。1998年8月には長江の洪水によって水位が上昇し、町が危機に瀕したため、江沢民、朱鎔基らが来市して防護工作を指示した。
人民解放軍広州軍区空軍司令部が所在し、湖北・湖南省に展開する空軍第7軍、空軍第15軍(空挺部隊)、武漢基地所属師団を統括する。
教育
武漢大学
華中科技大学
武漢理工大学
中国地質大学
華中師範大学
華中農業大学
中南財経政法大学
中南民族大学
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武漢科技大学
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武漢工程大学
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