この項目では官吏の序列について説明しています。
キリスト教カトリック教会における聖職者の序列についてはカトリック教会#聖職者と組織をご覧ください。
キリスト教正教会における聖職者の序列については神品 (正教会の聖職)をご覧ください。
位階(いかい)とは官吏の序列をいう。
日本では勲等と並び位階勲等と称され、主に律令法(律令制)によって定められたものを指す(主に明治時代から昭和前期までは功級も含まれた)。律令制下の位階制においては、親王に対する位階は品位として別途4階が定められた。位階は主に諸王および人臣が対象であり、人臣の位階については律令法が廃止された明治時代以降は、官吏であった者や特に功績のあった者などに与えられる栄典の一つとなった。今日においても日本国憲法に基づく栄典のひとつされ、毎年功労ある物故者に授けられている。
なお、位階に叙すことを叙位(じょい)と言い、平安時代以後は、宮中で五位以上の位階を授ける儀式(正月五日頃に行われる。)のことも叙位と言った。また、位階と混同して用いられることの多い「官位」とは「官職と位階」を指し、位階とは異なる。
目次
1 日本の位階制度
1.1 律令制下の位階制度
1.1.1 概要
1.1.2 蔭位の制
1.1.3 刑法上の特典
1.1.4 位階制度の形骸化
1.2 明治20年?大正15年
1.3 大正15年?終戦
1.4 昭和39年?現在
2 中国の位階制度
3 新羅の位階制度
4 琉球の位階制度
5 関連項目
6 外部リンク
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位階制度は、他の政治行政制度と共に中国から継受し、日本で独自の発展を遂げた。初めて官吏を序列付けたのは、603年(推古天皇11年)の冠位十二階である。その後数度の変遷を経て(→冠位・官位制度の変遷)、701年(大宝元年)の大宝令および718年(養老2年)の養老令によって位階制度の基本が固まった。
673年以降は神にも位階が与えられた(神階参照)。
位階制度は、位階と官職を関連づけることにより(官位制)、血縁や勢力にとらわれず適材適所を配置し、官職の世襲を防ぐと共に、天皇が位階を授与することで、全ての権威と権力を天皇に集中し、天皇を頂点とした国家体制の確立を目的とした。
大宝令・養老令のうち官位について定めた『官位令』によれば、皇族の親王は一品(いっぽん)から四品(しほん)までの4階、諸王は正一位から従五位下まで14階、臣下は正一位から少初位下(しょうそいげ)まで30階の位階がある。位階によって就くことのできる官職が定まり、位階に応じて衣類などにも制限が加えられる。また、五位以上の者には位田が支給される規定となっていた。
なお、律令制における「貴族」とは五位以上の者を指し、これには昇殿などの特権が与えられた。「貴族」に対し、六位以下無位までの者を「地下」(ぢげ)もしくは「地下人」と呼ぶ。
朝廷及び明治新政府では、故人に対して生前の功績を称え位階または官職を追贈がなされることがあった。位階を贈ることを贈位、官職を贈ることを贈官といった。(例)贈正四位、(例)贈内大臣。
正○位の「正」は「せい」でなく「しょう」、従○位の「従」は「じゅう」でなく「じゅ」と読む。また、三位は「さんい」でなく「さんみ」、四位は「よんい」でなく「しい」、七位は「なない」でなく「しちい」と読む。
詳細は蔭位を参照
蔭位の制(おんいのせい)とは、高位者の子孫を一定以上の位階に叙位する制度。父祖のお蔭で叙位するの意。令によれば、子孫が21歳以上になったとき叙位され、蔭位資格者は皇親・五世王の子、諸臣三位以上の子と孫、五位以上の子である。勲位・贈位も蔭位の適用を受ける。蔭位の制は中国の律令制に倣った制度だが、中国の制度よりも資格者の範囲は狭く、与えられる位階は高い。
皇族・諸王
親王の子 → 従四位下
諸王の子 → 従五位下
五世王の嫡子 → 正六位上
(庶子は一階を降す。)
諸臣
一位の嫡子 → 従五位下
以下逓減して
従五位の嫡子 → 従八位上
(庶子は一階を降し、孫はまた一階を降す。)
儒教の経典である『礼記』には「礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず」とされ、律令法では八虐などによる死罪(実際は流罪及び除名で代替される場合もあった)を例外として、五位以上の官人には実刑を加えないことが原則とされていた。
日本では中国の八議(『周礼』では八辟)の制度を元にして名例律において六議の制が定められ、三位以上は6番目の「貴」とされて減刑の対象となり、更に五位以上でも「請」の手続を経ることで準用が認められた。