欧州統合(おうしゅうとうごう)とは、ヨーロッパ諸国あるいは部分的にヨーロッパである国が政治的、法律的、経済的に、また場合によっては社会的、文化的に統合していく過程。今日において、主に欧州統合はストラスブールを中心とした欧州評議会と、ブリュッセルやルクセンブルクに拠点を置く欧州連合といった枠組みで進められている。
目次
1 歴史
2 欧州評議会
3 欧州石炭鉄鋼共同体
4 欧州連合
5 統合に関する理論
6 欧州統合の展望
7 関連項目
8 外部リンク
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数世紀にわたっていくつかの欧州統合の形態が提唱されてきた。アリスティード・ブリアンは1930年に出版した著書 Memorandum on the Organization of a Regime of European Federal Union において、フランス政府に対してヨーロッパの統合体のためのヨーロッパの政府という形態で、20世紀最初の統合の提案をしている。
欧州評議会欧州人権裁判所(ストラスブール)
同裁判所では国内裁判所が認めなかった人権侵害を認定する事例もある。
第二次世界大戦後の荒廃や苦難といった状況、また融和の必要などから1949年、欧州統合の概念の下でストラスブールにおいて欧州評議会が創設された。ウィンストン・チャーチルはチューリッヒ大学における講演でヨーロッパ合衆国の建国と欧州評議会の創設を求めていた。
欧州評議会の最も重要な達成とされるのが1950年の人権と基本的自由の保護のための条約(欧州人権条約)であり、その後ストラスブールに欧州人権裁判所が設置され、欧州人権裁判所は事実上ヨーロッパ全土における人権と基本的自由を司る最上級の裁判所となっている。また人権については欧州評議会の拷問禁止委員会や欧州社会憲章においても保護されている。
欧州協議会での協定のほとんどは汚職、資金洗浄、スポーツにおけるドーピング、サイバー犯罪といった司法共助などの法制面での統合を進めることが目的となっている。
文化協力については1954年の欧州文化条約や、少数言語の保護に関するもののほか、大学における研究やディプロマの認証に関する協定などが制定されている。
ベルリンの壁崩壊後、中央・東ヨーロッパの旧共産圏諸国が欧州評議会に加盟し、欧州評議会はヨーロッパの47か国で構成されるようになった。なおベラルーシについては非民主的政府が存続しているとして除外されている。これにより欧州評議会の枠組みではヨーロッパ大陸全土を包含する統合がなされたことになる。
欧州評議会の枠組みにおける欧州統合は、閣僚間協議や議会間での活動などの政治協力に加えて、欧州評議会における条約・協定への加盟国の締結などでなされている。1949年の創設条約により欧州評議会は人権や民主主義といった共通の価値観の下で加盟国の統合が進んでいる。
1951年、ヨーロッパの一部の国は自国の鉄鋼と石炭の生産に関する権限について、ルクセンブルクに設置する欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) に授権することで合意した。
石炭と鉄鋼の生産は第二次世界大戦後のヨーロッパ諸国において復興に不可欠とされ、また各国経済におけるこの部門は2つの世界大戦において重要な意味合いを持っていた。そのためフランスは当初、1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が建国された後も州内の鉄鋼会社とともにザールラント州占領を継続していた。新設される ECSC に石炭と鉄鋼の生産に関する国家権限を移管することにより、 ECSC の加盟国間で透明性と信用を得ることができるようになった。
「共同体」への国家権限の移管と共同体最高機関(委員会)による権限行使は、1957年のローマ条約によってブリュッセルに新設された欧州原子力共同体 (Euratom) と欧州経済共同体 (EEC) においても同様になされ、その後今日において欧州連合 (EU) と呼ばれる形態になっている。
この動きにおける重要人物とされるのはジャン・モネであり、「欧州連合創設の父」とも評される。試行錯誤を繰り返して ECSC は EU へと進化し、 EU は欧州統合における大きな勢力となっている。
欧州連合単一通貨ユーロの硬貨と紙幣
EU では経済通貨統合が進められ、2002年からは硬貨・紙幣が発行された。
欧州連合域内の市民のほか、 EU の機構、欧州議会議員、欧州司法裁判所判事、欧州委員会委員と委員会職員、加盟国政府はすべて欧州統合の役割を果たしている。しかしながら欧州統合に関してはその役職や組織についてさまざまな理論があり、域内において疑問視する声があがっている。