横山樹理
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オリンピック
女子 バレーボール
1976バレーボール

西川 樹理
(旧姓:横山)名前
ラテン文字NISHIKAWA Juri
(旧姓:YOKOYAMA Juri)
愛称ジュリ
選手情報
国籍 日本
生年月日1955年
ポジションライト
身長174cm
体重71kg

テンプレートの解説

横山 樹理(よこやま・じゅり、1955年 - )は、福岡県北九州市出身のバレーボール指導者、元選手。飯塚高等学校女子バレーボール部監督。本名:西川 樹里(にしかわ・じゅり)。現在は中間市在住。

豪快なスパイクと『ジュリ・スマイル』と呼ばれた笑顔で幅広いファンに親しまれた。


来歴

中学からバレーボールを始め、博多女子商業高等学校(現:博多女子高等学校)ではインターハイで優勝した。

1973年ユニチカに入社。同年6月に18歳で全日本入りした。入社4年目に行われたモントリオール五輪では控えのメンバーとして出場。白井貴子前田悦智子が引退した後の全日本を支え、1978年世界選手権、1981年ワールドカップではエースとして活躍し銀メダルを獲得した。その一方で、エースとして金メダルが期待された1980年モスクワオリンピックでは、米国主導の西側諸国ボイコット運動の巻き添えとなり、日本は出場辞退するという悲運にも泣かされた。1982年引退。

引退後は帰郷し、結婚・出産、ママさんバレーの規定(インドア日本代表経験者は引退後10年間参加禁止)により子育てに専念していた。規定による出場禁止期間が明けた後は、生活の拠点とした中間市で体育指導員をする傍らで地元のママさんバレーチームに加わり、指導にあたっていた。

2007年飯塚高等学校の幹部になっていたかつての恩師に請われる形で女子バレーボール部監督に就任、現在に至る。その監督デビュー戦までの日々が、『福岡にんげん交差点』(NHK福岡放送局制作)で放送され、全国にも紹介された。


球歴・受賞歴

所属チーム

博多女子商業高→ユニチカ



全日本代表としての主な国際大会出場歴

オリンピック - 1976年

世界選手権 - 1974年、1978年、1982年

ワールドカップ - 1977年、1981年



受賞歴

1975年 - 第9回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6

1976年 - 第10回日本リーグ ベスト6

1977年 - 第11回日本リーグ 敢闘賞、ベスト6

1978年 - 第12回日本リーグ ベスト6

1979年 - 第13回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6

1980年 - 第14回日本リーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6

2007年 - 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞


先代:
清水睦子日本リーグ最高殊勲選手賞
第14回(1980-1981)
第13回(1979-1980)次代:
江上由美


バレーボール全日本女子 1974年世界選手権 - 新東洋の魔女

飯田高子  ?  白井貴子  ?  金坂克子  ?  横山樹理  ?  矢野広美  ?  会田きよ子  ?  小山光枝  ?  古田敏美  ?  岡本真理子  ?  斎藤春枝  ?  前田悦智子  ?  荒木田裕子  ?  監督:山田重雄バレーボール全日本女子 1976年モントリオール五輪 - 新東洋の魔女

飯田高子  ?  白井貴子  ?  金坂克子  ?  横山樹理  ?  矢野広美  ?  岡本真理子  ?  加藤きよみ  ?  前田悦智子  ?  荒木田裕子  ?  松田紀子  ?  吉田真理子  ?  高柳昌子  ?  監督:山田重雄バレーボール全日本女子 1977年ワールドカップ - 新東洋の魔女

白井貴子  ?  金坂克子  ?  横山樹理  ?  矢野広美  ?  前田悦智子  ?  荒木田裕子  ?  松田紀子  ?  吉田真理子  ?  水原理枝子  ?  高柳昌子  ?  須藤加代子  ?  江上由美  ?  監督: 山田重雄バレーボール全日本女子 1978年世界選手権 - 新東洋の魔女

横山樹理  ?  矢野広美  ?  吉田真理子  ?  滑川玉江  ?  石川嘉枝  ?  小川かず子  ?  高柳昌子  ?  須藤加代子  ?  江上由美  ?  金子佐和子  ?  川原千鶴  ?  監督:山田重雄バレーボール全日本女子 1980年モスクワ五輪 - 幻の五輪代表


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki