棄捐令(きえんれい)は、江戸時代幕府が財政難に陥った旗本・御家人を救済するために、債権者に対し債権放棄・債務繰延べをさせた武士救済法令。
旗本・御家人は石高が元から低い上に相給などの導入によってその財政基盤は弱体であり、早くも幕府成立から30年後の徳川家光の時代にはその窮乏が問題視されていた。幕府は多少の地方直と倹約令の徹底によって乗り切ろうとしたが、江戸居住が義務付けられていた旗本・御家人は必然的に消費者にならざるを得なかったために時を追うにつれて問題は深刻化するようになった。
松平定信が寛政の改革の一環として1789年(寛政元年)9月に発したのが最初で、1784年(天明4年)以前の借金は債務免除とし、それ以後のものは低利返済とした。この時棄捐された金額は約120万両(現在の金額に換算して約1兆円)であったといわれ、幕府の年間支出とほぼ同額だったと言われている。1843年(天保14年)の時にも、水野忠邦が天保の改革の一環として発令している。このときは、借金を無利子・年賦返済としている。
これにより札差は大きな損害を受け、この結果旗本・御家人に対する貸付は行われなくなり、人心を不安に陥れるなど多くの弊害をもたらせた。そのため、幕府は豪商の拠出金や七分積金などを元手に猿屋町貸付会所(猿屋町会所)を設置して江戸の札差に対して低利の融資を行った。なお、諸藩でもしばしば行われた。
関連項目
徳政令(鎌倉・室町時代)
相対済令
(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 日本の歴史上の法律 | 江戸幕府 | 江戸時代の経済
更新日時:2008年1月13日(日)03:05
取得日時:2008/09/24 10:35