栄養学
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栄養学(えいようがく、Nutrition science)とは、食事食品の中の成分である栄養素がどのように生物の中で利用されたり影響しているかを研究する学問である。栄養とは、生物が自らの体を構成して生活活動を営み、健康を維持・増進して生命を維持してゆくため、必要な物質を外界から身体に取り入れ、これを利用する現象をいう。栄養学は、人間の栄養に関する学問である。

1910年代、日本での栄養学の創設期には、食品に含まれる栄養成分の分析や、「何を、いつ、どのくらい」食べたらいいのかを研究した。

1980年頃から、食事と生活習慣病が大きく関係することが分かり、「食生活指針」が作られ、食事と病気との関連を研究する疫学研究が盛んになっていった。また1980年代以降、食品成分の健康に対する作用が解明されることが増え、健康食品として食品の機能に関して認識されていくこととなった。

2003年には、アメリカとカナダの栄養士会は合同で、牛乳や卵も摂取しない完全な菜食においても栄養が摂取でき、また菜食者はがん、糖尿病、肥満、高血圧、心臓病といった主要な死因に関わるような生活習慣病のリスクが減る、認知症のリスクも減ると報告している[1]。6つの前向きコホート研究をメタアナリシスし、20年以上の菜食者は平均余命が3.6年長いと報告された[2]

目次

1 日本における栄養学の歴史

1.1 栄養学の創設

1.2 栄養士と養成施設

1.3 主食論争

1.4 戦後

1.5 食育への流れ


2 国際的な歴史

2.1 生活習慣病と疫学研究


3 栄養素

3.1 三大栄養素

3.2 五大栄養素

3.2.1 ミネラル

3.2.2 ビタミン


3.3 ほかの摂取成分


4 栄養素と摂取基準

5 食べる回数

5.1 毎回食完全


6 脚注

7 関連項目

8 参考文献

9 外部リンク

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日本における栄養学の歴史

1871年(明治4年)に、ドイツ医学で教えたドイツホフマンによって栄養についての知識が日本に伝えられた。しかし、そのときは医学のなかの一分野にすぎず、一つの学問として体系化されたものではなかった。


栄養学の創設

佐伯矩は、栄養学を学問として独立させたため栄養学の創始者といわれる。矩は、京都帝国大学医化学を学んでいたころ、すでに「米と塩を以って生活できるか否かについての研究」と栄養に目が向いていた[3]内務省伝染病研究所に入り北里柴三郎の門下として細菌学を研究した。ここでの研究によって1904年(明治37年)には、大根に含まれる消化酵素を発見したことも成果の一つとなっている[4]1905年(明治38年)には、北里柴三郎らの推薦で特別研究員としてアメリカイェール大学に招聘される[5]1911年(明治44年)ごろ、またヨーロッパを遊学した[6]

栄養学が芽生えたのは、1914年(大正3年)。佐伯によって営養(栄養)研究所が創設され、医師10名、高等師範1名に栄養に関する講義が行われた。1918年(大正7年)当時、教科書や政府の刊行物では営養と表記していたものを栄養に統一するように文部省に建言した[7]。栄えるという字には健康を増進する意味があるからである[8]。また完全食偏食といった言葉も作り出している。1920年(大正9年)には、内務省の栄養研究所(現在の国立健康・栄養研究所)が設立され、佐伯は初代所長となる。1924年(大正13年)、佐伯は私費を投じて栄養学校を設立。翌年入学した第一期生は、1年間の学業を修め、佐伯によってつけられた「栄養士」と呼称で世に出た。

1934年(昭和9年)日本医学会の分科会として、栄養学会が正式に独立を認められた。

佐伯矩は海外でも精力的に講義を行い、その業績によって1937年(昭和12年)には、国際連盟主催の国際衛生会議において、参加各国が国家事業として栄養研究所を設立し、栄養士の育成を行い、分搗きの米を用いることの決議がなされた[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki