衆議院議員 柳澤伯夫
(やなぎさわ はくお)
生年月日1935年8月18日(73歳)
出生地静岡県袋井市
出身校東京大学
学位・資格法学士
前職大蔵省行政官
所属委員会
内閣役職衆・国家基本政策委員会委員
世襲無
選出選挙区静岡県第3区
当選回数衆8回
所属党派自民党(古賀派)
党役職党・経済物価調査会会長
党・静岡県支部連合会
第三選挙区支部支部長
会館部屋番号衆・第二議員会館414号室
⇒柳沢 伯夫
柳澤 伯夫(やなぎさわ はくお、1935年8月18日?)は、昭和・平成期の日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(静岡県第3区選出)。報道等では柳沢 伯夫(やなぎさわ はくお)とも表記される。
目次
1 来歴
2 政策
2.1 金融
2.2 財政
2.3 労働
3 発言
3.1 産む機械騒動
3.2 健全発言
4 人物
5 家族・親族
6 略歴
7 著書
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
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静岡県袋井市出身。静岡県立静岡高等学校に進学、新聞配達で学費・生活費を賄う。高校1年生の夏休みに母が死去、二学期から定時制に移り昼も働く。2年次から地元に近い静岡県立掛川西高等学校に転校。当時は貧しさを題材にした石川啄木に励まされたという。進学した東京大学法学部ではマルクスらの社会主義に心酔した。しかし大学4年の時、池田勇人内閣が掲げた所得倍増計画に関する講義を受ける。社会主義にしかできないと思っていた貧困の克服が、経済政策でも可能だと気付き感銘を受けた[1]。1961年 東京大学法学部を卒業大蔵省(現・財務省)官僚に入省。田中六助官房長官(当時)の秘書官を務めたこと他が切っ掛けでから政界に転じた。衆議院文教委員長、国土庁長官、金融再生委員会委員長、金融担当大臣、厚生労働大臣を歴任。自由民主党宏池会(古賀派)に所属。
金融担当大臣就任当時、「日本の銀行はいたって健全であり、公的資金の投入は必要ない」などと発言し、その姿勢から、経済財政政策担当大臣の竹中平蔵と対立した。この対立は、そのまま内閣府経済財政諮問会議などの場で議論が繰り返され、最終的には、内閣改造時に柳澤が更迭され、竹中が金融担当大臣を兼務することで決着した。日本の憲政史上稀に見る「政策の対立による閣僚更迭」となった。
旧大蔵省(現・財務省)出身で、自由民主党税制調査会会長を務めた経歴から、自民党屈指の「増税による財政再建論者」と評される。法人税減税には反対していないが、消費税増税を強く主張しているという。財政通とされる谷垣禎一や与謝野馨と連携しているとされたが、一方で彼らとは一線を画す立場とされる安倍内閣に入閣した。
安倍内閣の厚生労働大臣として、以下の内容の「ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ)」法案を強力に推進した。
一定時間を超える残業代の支払いを行わない
週40時間労働基準の撤廃
雇用者の健康管理義務削除・労災対象からの除外
非正規雇用の正社員化を法案から除外
柳澤は同法案関連法案を2007年1月25日の通常国会へ提出することを目指したが、サラリーマンだけでなく他の国民からも反発を受けた。