林秀卿
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林秀卿
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各種表記
ハングル:???
漢字:林秀卿
平仮名
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片仮名
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ラテン文字転写:{{{latin}}}
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林 秀卿(イム・スギョン、1968年11月6日 - )は大韓民国の元学生運動家。韓国外国語大学校フランス語学科卒。カトリック教徒。別名、「統一の花。」

1989年7月、第13回世界青年学生祭典(通称・平壌祭典)が開催された。主体思想派全国大学生代表者協議会(全大協)も、代表を平壌に派遣する方針でいた。しかし韓国政府は、絶対阻止の方針を打ち出す。

韓国政府は、平壌に向かおうとする5万人の学生デモを戦闘警察の力で封殺したが、韓国外国語大学校では一時戦闘警察が退却する姿が見られた。また、京義線で平壌に向かった学生たちは、最北の終着駅(当時)であった?山駅で警察当局に拘束された。オートバイで平壌に向かった5人の学生は、臨津江のほとりで取り押さえられた。

しかし、こうなることを見越していた全大協は、林秀卿をひそかに東京に送り出し、ベルリン経由で平壌に到着した。林秀卿が平壌で紹介した韓国の国民歌謡「我らの願いは統一」は、すぐに朝鮮中央放送の定番音楽になった。ソウル地下鉄公社(現:ソウルメトロ)広報部長であった林秀卿の父親は、「国民に対する謝罪文」を発表せざるを得なくなった。

林秀卿は、祭典終了後、文奎鉉神父と共に板門店経由で韓国に戻ったが、国家保安法違反容疑ですぐに逮捕され、軍用ヘリコプターで捜査機関に移送された。既に民主化宣言を発表していた盧泰愚大統領は、直ちに談話を発表し「林秀卿氏の行為は実定法違反である」として、従来の政治弾圧とは異なる点を強調した。

3年4ヶ月に渡る服役後、林秀卿は学生運動を引退し、西江大学大学院に入学。ソウル市内で普通の主婦として生活していたが、アメリカコーネル大学博士課程に留学し、平和学の研究に打ち込んだ。

2005年、一人息子がフィリピン溺死したことに関連し、インターネット上に「北の手先め、ざまあみろ」といった類の書き込みが行なわれ、林は侮辱罪名誉毀損罪で書き込み者を刑事告訴捜査が行われてみると、社会的地位の低い人間による憂さ晴らしではなく、元小学校長・銀行員・大学教授などが、ぞろぞろ出て来た。林は言う、「もし私の悲痛な目を見て語るならば、あのようなことは言えないはずだ。」書き込み者には、罰金刑が言い渡された。 カテゴリ: 1968年生 | 韓国の人物 | 主体思想

更新日時:2008年6月23日(月)12:38
取得日時:2008/08/16 15:03


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki